好きな作品(書評)

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[10] 無題 投稿者:管理人 投稿日:2005/09/03(Sat) 22:02  

無責任な事を書かれている方が
残念ながらいらっしゃいます。
IPアドレスは記録されている事を警告をします。


[9] 書誌資料B 投稿者:池田 投稿日:2005/07/18(Mon) 23:54  

実例手紙の事典(S44/10/20発行)に
年賀状と詫び状に先生のお手紙の模範例として記載されていました。
来年の年賀状にでも参考にしたいと考えています。

「年賀状」
<作家・芹沢光治良氏から画家・高野三三男氏へ>はがき
 みなさまおそろいでよきお年を迎えられた御由およろこび申しあげます。
 時の流れのはやきことに,ただ呆れているような昨今です。
 一月三日
  高野三三男様      芹沢光治良

「お詫び」
<作家・芹沢光治良氏から会合欠席を作家・寺崎浩氏へ>はがき
 昨夕の会にでることをたのしみにもし、その節詩集の
御礼も申し上げるつもりでしたが、喘息が苦しくて出掛
けられませんで申し訳なく存じます。
 ロシアの旅をたのしんで参りますように祈っております。
 おわびをかねて、ボン・ボアイアージュをお送りします。
 寺崎 浩様      芹沢光治良

以上




[8] 書誌資料A「音楽の友」(S38/11/1)より 投稿者:池田 投稿日:2005/05/02(Mon) 01:52  

芹沢光治良先生が「音楽の友」(S38/11/1)に
「オペラのパラダイス東京」と題して掲載している。
「内容(抜粋)」
・音楽を聞くのは心を洗うためである。
・ただ楽しむためならば、いつもオペラを聞く事にしている。
・オペラは音楽の大殿堂のようなものである。
・オペラは、たとえばシャルトルの聖堂を訪ねる時のように、心の衛生上必要なものである。
・最初に見たのは、パリのオペラ座でベルリオーズ「ファウストの去罰」
〇イタリアのオペラ
 ・歌を聞かせること主で、歌手の声と芸とが中心で、他はそれに従属している。
 ・イタリアのオペラはいい歌手がそろわなければ、面白さが減少する。
〇ドイツのオペラ
 ・イタリア・オペラのように声楽中心主義になっていない。
  音楽と劇とがからみあって総合芸術になっている。
 ・合唱も管弦楽団も指揮者も演出家も全部来なければドイツ・オペラの真価は発揮

以上


[7] 書誌資料@「僕のインタビュー」中山善衛対談集 より 投稿者:池田 投稿日:2005/05/02(Mon) 01:29  

「宗教と文学」
 「僕のインタビュー」中山善衛対談集  S37年10月26日
●内容(先生のお話の抜粋)
・文学は、人間の救いみたいものを書くことではないか。
・いかに生きるかということになると、結局には人間がどうして生まれか、どうして死ぬかかということがなければ、ものを考えることも無くなる。
・なぜ生きるかということになり、そこにどうしても神というものを持ってこなくてはいられなくなり、魂の問題もそこから出てくる。 そういうものが文学の根本だと思う。
・日本いると,神というものを考えないで生きていられる。 というのは、家庭生活でも、社会生活でも、いつも人の顔を見て暮している。 絶対者と向きあう瞬間が無い。
・ヨーロッパでは、石の建物の中で、名々が一つの部屋で生きているいかなければならない。
 そこには他人の愛情とか心遣いなどは,しみとおらないものがあります。
・自分は一体誰に向かい合っているのだろうか考えざるを得ない。
・自分以外に頼るものがない、しかも自分というものがいかに頼りないことを知っているかr
 結局、神を求めることになる。
・そういう日常生活に救いを与えるのが、文学だと思う。
・日本では、自分が孤独だと感ずる余裕すらない。名名お互いに顔を見合わせて暮している。
・ある意味では、自分を見ないでいつも他人の顔ばかり見て、他人の思惑ばかりにいきてきてい
くとと思う。
・ヨーロッパ人の生活は他人が見えないというか、親兄弟でさえ、いつも離れたそんざいで、いつでも孤立した人間で、常に孤独だといえましょう。民主主義とか自由とかいうものの基礎も、
結局そういう生活からこそ出てきたのではないでしょうか?
・そういう生活をしていると始めて自分の時間が始まる。そして自分というものの発展がそこから始まる。

・自分の時間というものが違った次元みたいなものに感じられて、生きていく喜びが湧いてくる。
 私は、日本にいてもそういう習慣をもたなければいけないと思っています。
・神様に祈るということは、人間自分たちの仲間の顔を除いて絶対者と向き合う瞬間ですね。
 それを求めないから、日本人はヨーロッパ人のような人間的強さがなかなかできないのです。
・祈りを知らない日本人だったら、自分の孤独、人間の孤独が分らないし、人間の孤独が分らなかったら、同時に自由という問題も本当に分らないと思います。
まあそんなわけで私の作品は宗教的だと言われるのでしょうね。
・唯一、天理教に感謝しているのは、自分の作品の中で、人をうつもの、人を感動させるものが仮にあるとすれば、それは、天理教の中で貧しく育った頃に、心に蓄えたものであろうと思っています。 実際その後に、そういう精神的と言うか、魂に得るものを経ていないのです。
                           以上



[6] 「女の運命」 投稿者:I田 投稿日:2005/03/06(Sun) 15:08  

(二月の読書会の感想をメモしたものです。)
『2005/2月 第331回 読書会の報告(女の運命) 二回目』
・ 戦前・戦時中の女性は、結婚に女の幸福があるとして修業してきた。しかし、戦争によって、だれもが結婚して家庭を作ることができなくなった。 節子は、結婚に女の幸福があるものとして育ってきたが,戦争を契機に、自己を無くして何かを作っていくような生活態度や様式も女の結婚ではないか? と考えるようになった。この節子の心の葛藤を描いた作品だと思う。

「節子の心の変化」
@ 妹達の幸福のために、両親の反省を促すため、けなげな決心をして、自ら苦労を求めた。
A自分が心貧しく祈の心で暮らしてさえすれば再び穏やかな生活が戻るだろうと信じた。
・家を出て親に心配させて改心するような不遜な気持ちを恥じるようになった。
B富子の結婚を祝福できない卑しい心。同僚を蔑む、傲慢な自分に気付く。
C戦時中であるから、結婚することに、幸せを探すのではなく、人間としての奉仕だと思わなければならない。(その人のために肥料となる)
D不幸に男性にめぐり合えなかったとしても、自分を粉にして何かを作る生活態度や様式も女の結婚ではないかと考え、自分を捧げる場所を探す

今回の話題の一つであった「母親の態度」について
@ 節子が家に帰ると決めたときに、世間体を気にして、けじめをつけなければ帰れません。
節子の事を本当に考えているのだろうか? (意見多数)
A しかし、このけじめの言葉で、節子が成長するキッカケとなったことは確かである。
B 私なら抱きしめて節子を許したと思う。
C 時代を差引いても母親に多くの原因があるのでは・・。
D 明治生まれの母親のいきる知恵は、夫に従順に生きる事がすべてであり、女(妻)の自立(精神的にも、経済的)など、言葉さえも必要でない時代の女性が、妻の居場所を確保するために、世間体を気にし、家庭に波風を立てないで、父親を非難することなく家を守る母親を責める事はできない。のでは…。責めらるべきは、父親であると思う。
など、核心に触れた活発な発言があり、現在の若い女性は、結婚に女の幸福と使命を感じるのだろうか?
先生の「結婚は青春のためにではなく、晩年のために幸福を予約する」(生きることと書くこと)この言葉を我が息子、娘に与えたいものである。



[5] 再びブルジョアの日に 投稿者:ナナ 投稿日:2004/05/08(Sat) 22:38  

 20数年ぶりのフランスが、まるで100年にも当たるほどの変化を感じながら行ったレーザンは、何も変わっていなかった。スイスは戦争に巻き込まれなかったからかも知れないが、レーザンとパリの旧友にあって、人生の終わったようなのを見て驚き人生を考えます。私は今まで、結核になったからこそ作家になり、命の大切さを訴えるような文学を作り出せたのではないかと、それを先生も分かっていて、結核になったことを意味あることと捉えていると思っていたのですが、そうではなく、レーザンでの歳月と病後の日々を取り戻したい、結核のため自己を発展させられなかったと言っています。やはり結核を意味あることと考えるのは、私にとって他人事でしかなかったからでしょう。死病と闘うと言うことは、本人にとっては、意味があったなどと言えるような生やさしい物ではなかったのだと、この文章は分からせてくれます。
そして、スイスと日本の人道主義の隔たりには、驚かされます。
スイスでは療養しながら学ぶ、サナトリウム大学が作られているというのに、日本では、結核患者など早く死んでしまえと言うような状態にある。この違いはなにか。それはやはり、豊かさもあると思いますが、愛情表現の細やかさも関係があるのかも知れません。博士の示す物が愛の表現なら私は親も妻も愛したことがなかった。と反省します。
その反省の言葉が、無に等しいような自分と言うことなのでしょう。愛の少ない人間は、ちりあくたにも等しく軽い存在だと、その自覚が魂にしみいるほど悲しいと言っているのだと思います。また、それほど博士の愛情が魂にしみたということでしょう。



[4] 松柏苑 投稿者:ちゃお 投稿日:2004/05/08(Sat) 22:28  

始めにある、開けたくても開けられない大門が象徴しているように、落ちぶれていく旧家の家族が、価値観の違いや利己心で、バラバラになっていく様子が書かれている。
春次は旧家を嗣ぐつもりで、その権威の象徴である庭に最大の価値をつけ、その維持に努力する。だからこそ、兄にその価値を踏みにじられると、心はすっかり邪になり、兄や姉の出費、その不公平に耐えられなくなり、最後には大切な庭にまで心がいかなくなり、形さえ残ればいいと無理な植え替えを強いて、庭師を失望させる。
兄は合理的な考え方しか出来ず、庭に対する思いを分かろうともしないし、兄嫁はそんな家の状況に関心も示さない。結局、昔をなつかしみ、栄えていた頃の思い出を引きずるが故に、余計醜く荒んでいく家族が、庭を軸に浮き彫りにされるのだが、その中で半左衛門だけが、周りの思惑など眼中になく独り趣味の世界に没頭している。
案外、人間の本当の幸福とは、純粋に自分だけの世界に没頭していられる時なのかもしれない。


[3] 「命ある日」 投稿者:I田 投稿日:2004/05/08(Sat) 01:42  

1996年10月 例会テキストです。その際のメモです。
 主人公が次々に変わってくる。 最初は湯川と日高の友情物語かと思っていたら、次に日高と湯川との男の友情かと読んでいくと野見静子が突然現われ日高との恋愛物語に発展し、静子の自立というか生きる本当の意味を引き出す「青春と愛の感動物語」である。 (「映画の題名」のパクリっぽいですが…)
この作品には、4人の男性(湯川、菊岡、日高、内山)、二人の女性(静子、内山の妹(賀代子)がいる。 自分はやはり湯川に一番近い男であると思う。
第一に「幸福の考え方」では藤の椅子を他人に譲ることで、幸せを感じる人になりたいとは思うのですが、やはり他人の不幸と訳ではないのですが、他人と比べて少しでも勝っていれば安心していられる。また劣っていれば僻んでしまういやなやつだと思ってしまいます。
以上


[2] 男の生涯 投稿者:ちゃお 投稿日:2004/05/04(Tue) 02:18  

「祖母は隣人が食物に窮している間は、実家に貯えがあってはならないと、信じていたようである。」
とP11にあるが、これは飢えるなら隣人とともに飢えようという態度で、キリスト教の最後のパンの
ひとかけらまで分かち合う、という考え方に似ている。
喜びも苦しみも分かち合ってこその信仰や教えであるならば、今の宗教団体に疑問を持つ。


[1] 秘蹟 投稿者:銭オ 投稿日:2004/05/04(Tue) 02:13  

父や母の生涯は、雨の激しい冬であった。とありますが、人の喜びや他の人の精神をたてかえる事によって得られた幸福を、自分のものとして喜べる精神があれば、その喜びによって他人の目にどう映ろうと、二人は幸福だったのではないかと。金銭主義の一般人から見れば、忍耐の冬のような人生に見えますが、もっと違う次元で二人は春のように幸福だったのではないかと感じます。