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音楽 アーカイブ

2007年03月19日

「母の心配」」(婦人画報 昭和26年1月号)

 管理人です。3月18日(日)は、合宿で愛好会読書会には参加できませんでした。 今回の月例会のテキストは、「母の心配」です。短編小説 「母の心配」(婦人画報 昭和26年1月号)です。 内容を見ると音楽が主要な登場人物の心理に音楽が大きな影響を与えているのです。
 参加できないので原稿を読んでもらおうと思っていて書きました。しかし、練習と重なり、読書会に届ける事が来ませんでした。 その原稿をここで載せて愛好会の方に読んでもらおうと思いました。
 
「母の心配」


 この小説は、音楽、特にピアノについて触れられている。P159の 「あれはリストの整フランシスという曲でございませんか。右手のピアニシモ、アレは小鳥のさえずりでしょうか。 私の胸はあのピアニシモであやしくふるえました。ピアニシモにあわせて、すぐ左手のメゾフォルテのテーマの繰り返しは、 鳥に説教する聖フランシスの言葉でしょうか。胸に暖かく染みわたるようなテーマですわね。」この部分は「母の心配」の登場人物、 音楽大学生の由利子が中山への手紙に何気なく書かれているところです。
 ここで意外に思ったのは、ピアノ曲としてポッピュラーでない作品としてリストの作品を取り上げている事です。 リストの聖フランシスに関わる作品曲は、「二つの伝説」から ①「小鳥と語るアッシジの聖フランシス」② 「波を渡るパオラの聖フランシス」 という作品があります。
 作曲家のリストは華やかなスタートしての人生を送っていましたが、老境にはいると次第に宗教の世界に惹かれるようになり、 1865年には僧籍に入ることになります。その次の年、1866年に作られた作品です。
 また、あまりリストの作品では有名でないこの作品を取り上げるという事は、芹沢光治良の音楽の素養の深さを知ることが出来ます。 さらに芹沢先生はここでピアノ曲の解釈をしています。
 リストの作品は、「小鳥と語るアッシジの聖フランシス」を指しているのだろうと思われます。実際楽譜を見てみると、 どれが小鳥のフレーズでどれが聖フランシスのメロディと作曲者が楽譜に書きいれているわけではありません。演奏家が、リストについて調べ、 楽譜に書かれている事を忠実に再現しようとする過程(絶え間ないピアノの練習です)である種のひらめきが生まれてくるのです。 そのひらめきが芹沢先生のような解釈につながります。
 実際、リストのピアノ作品は、技術的にかなり難しいのでリストの作品を弾いてしまうほどの技量を持っていない芹沢先生がどのようにして、 その解釈を持つように至ったか、興味を持つわけです。普通は練習を通して得られる、 又はピアノのレッスンを通して得られる解釈をどのように持ったかという事です。少なくとも解釈するという事は、 楽譜に書かれている事を忠実に再現しようとする過程を耳にしてないといけません。それが芹沢先生にはどのように経験されたのか。
 この作品が発表された昭和26年の芹沢光治良先生は、三宿でお住まいでした。その頃は、 現代の生活のようにCDを用いて気軽に聴く事など出来ませんでした。SPレコードをCD一枚分がSPレコードでは7, 8枚分の枚数が必要であり、聴くにしても場所を取ります。レコードの保管だけでも結構な枚数がかかります。 音楽の好きな芹沢先生がリストの作品だけを聴いていたとは思えません。三宿時代の書斎の写真を見ましたが、芹沢先生の周りには、 レコードやプレイヤーの再生装置は見えませんでした。2階で書かれていた芹沢先生です。一階ではどうだったか、 一階にはピアノを置いてありました。もしかしたら、プレーヤーが置いてあったかもしれません。原稿執筆時にはよく音楽を聴きながら、 書かれていた芹沢先生が忙しい仕事を中断して音楽だけを聴きに来る事は希だったと思います。
 そうすると、絶え間なく聞こえてくるピアノ練習の過程は2階で執筆中に一階から聞こえてくるピアノの音ではないでしょうか。
 誰が、それを弾いていたか。それは、芹沢光治良の長女である万里子さんだと予想されます。戦争中でも、軽井沢でレオ・ シロタに師事していた万里子さんは、この時期にアメリカの音楽院で教鞭をとっていたシロタ氏からあ渡米しないかと誘われています。 難しいピアノ曲を練習していたのではないかと思われます。
 ところで「母の心配」では、最後に由利子が中山が弾くシューマン作曲「クライスレリアーナ」を聴いて「もうおしまい、もうおしまい」 と泣いて、川森という見合いの相手に結婚の申し込むをする。
 ここで芹沢光治良が「クライスレリアーナ」を選んだのは、センス抜群、協力な証拠を突き立てられた被疑者というか、BGMとして、 その情景にあった音楽ではすむのではなく、「クライスレリアーナ」が、聴いている者に結婚を諦めさせる強烈な説得力を持たしてしまいます。
 「クライスレリアーナ」は情熱的な曲です。この情熱は何か狂気じみたものを想像させます。演奏者はただ音楽を演奏するというより、 狂気じみた情熱の世界に入り込んでしまったような演奏をします。聴いている者は、 聴いている者自身に迎合しないで自分が作った情熱の世界に入れ込んでしまうことに気がつきます。聴く者はひたすらな演奏家の自己主張に 「憧れ」を抱いてしまう者なのです。
 これが演奏者に恋をしているものが聴くと、この「憧れ」は無惨にも「諦め」になるのでしょう。
 なぜなら演奏家は、私の方には見向きもしないということに気がつくのですから。私の気持ちに囚われるのでなく、 シューマンのメロディに囚われてしまっているのです。
 この情熱的な、メロディ、リズム、和声を聴いて下さい。中山は由利子ではなくピアノ音楽に心が盗られているのが、良くわかるのが 「クライスレリアーナ」なのです。
 最後に「クライスレリアーナ」をなぜ知ったのか。万里子さんのピアノか、ヨーロッパでの留学でか、 それとの帝劇でのピアニストの演奏家からか。
 しかし、クラシック音楽は、一回聴いただけでその良さはわかりません。何回も聴いて新しい発見につながります。
 何回も聴くという事は、やはり万里子さんのピアノではないでしょうか。
 

2007年04月19日

芹沢光治良の好きな音楽作品。

 芹沢光治良先生がパリに留学している時には様々な音楽作品をライブで聞いています。その中で、 芹沢先生が特に好んだ作品は、レイナルド・アーン作曲の『モーツァルト Mozart』だと玲子さんからご教示を受けました。 そういえば芹沢先生が、この作品をパリに来た有名人と聞きに行こうとしたと書いているのを記憶しています。(調査中です)

 この作品は、いわゆる作曲家別の名曲辞典には出ていませんが、 その声楽作品に特別に詳しい人達からは非常に評価が高い作品です。この作品は、全曲版のCDの購入がかなり困難で、 この曲の全曲の姿がわかりませんでした。沼辺信一氏のホームページから許可を得てこの作品のあらすじをここで紹介させていただきます。

 1778年のパリ。エピネー夫人のサロン。 親類のマリー=アンヌ嬢は傍らのクラヴサンを弾くよう所望されるが、その鍵盤に触れるのをためらう。このクラヴサンこそは12年前、 パリを訪れた神童モーツァルトが奏でた楽器だからだ。同席したグリム男爵は、かつて自分が面倒をみた天才少年を懐かしく回想する。
そこに突然、知らせが入る。モーツァルトがパリに来ているというのだ。ほどなく、22歳の美青年に成長したモーツァルト本人がサロンに到着。 挨拶もそこそこにクラヴサンの前に坐った彼は、ザルツブルクからパリへの旅のありさまを物語る。道中モリエールの「ドン・ジュアン」 を読み耽っていたといい、「これをいつかオペラにしたいな」などと口走る。そして、「人の心を掴んで、虜にするのって素晴らしい。パリよ、 僕はお前を虜にしたい!」と高らかに唄う。ここまでが第一幕。

このあとモーツァルトは、パリの貴族たちの注文で、交響曲(31番「パリ」)やらバレエ(レ・プティ・リアン)やらを作曲する傍ら、 貴族の令嬢やら小間使の娘やらと浮き名を流す(第二幕)。心配したグリム男爵は作曲家に向かって、「一刻も早くパリを出発し、 そして音楽に専念したまえ」とこんこんと説得。やがて意を決したモーツァルトは、楽しい思い出を胸に、ドイツへと旅立っていく(第三幕)。

 美しい歌がいくつもあるようです。芹沢光治良先生は、どういうところが好きだったのでしょうか。 沼辺氏によるとこの作品は一時間半ぐらいかかるようですが、音楽自体は30分だそうです。私はこの楽譜を手に入れましたが、この初演の台本 (イブモンタンが初演者らしいです)を沼辺氏は持っているそうです。すごいですね。

 沼辺氏によるとこの作品の幾つかのアリアが出ているそうです。 是非聞いてみて感想を書きたいと思います。

2007年04月23日

アーン作曲 「モーツアルト」

芹沢光治良先生は、エッセイ『こころの広場』の中の「これも純粋ですか」でアーン作曲「モーツアルト」 にふれています。有名な人を招待するというのは、佐伯祐三夫妻という記憶がありましたが、「これも純粋ですか」で確認できました。 もうすこしまとめると

大正14年(1925)、帰国する佐伯祐三夫妻に「エドアル7世劇場」でイボンヌ・ プランタンの上演が評判なので招待するところがあります。 このエッセイで青年モーツアルトが故郷に残した恋人へ送る手紙をパリの貴族の前で読む美しい「愛の手紙」というアリアにふれ、「・・・ イボンヌ・プランタンが切なくそれを唄いあげると、横の佐伯君が頬にこぼれた涙を無器用に手で払った。・・・」とあります。
 

 一度聞いてみたいので「愛の手紙」のCDを探してみます。

2007年06月08日

アーン作曲 「モーツアルト」 その2

 千葉の沼辺様から芹沢光治良が好きだった「モーツアルト」について興味深いコメントをいただきました。

 「6月10日まで上野の東京藝術大学大学美術館で開催中の展覧会「パリへ──洋画家たち百年の夢」に、佐伯祐三の油彩画『広告塔』 (新潟県立近代美術館)が出品されています。
これは再渡仏した佐伯が1927年にパリで描いた風景画の一枚です。 街角の円柱状の広告塔に演劇ポスターが貼り巡らされている情景なのですが、そこに明瞭な書き文字で MOZART そして SACHA と読み取れるのです。二年前にパリで観たイヴォンヌ・プランタンの舞台が、 二年後になってもまだ佐伯の脳裏に浮かんでいたことを窺わせる興味深い油絵です。
機会がありましたら、どうぞご一見あれ。」

 

 これは、気になりますね。お近くにお住みの方、10日までです。見に行って下さい。私は美術には全く詳しくありませんが、 画家の心象が作家の作品に当然に反映されると思っていますが、『広告塔』の作品が再渡仏した佐伯の気持ちが伝わってくる気がします。

 実は、私は佐伯祐三の画集を持っていますので、あとで開いてみます。

2007年10月25日

こんばんわ、管理人です。

 全国大会の報告が遅れてすいません。芹沢・井上文学館友の会の原稿をこの数日書いておりました。

あっという間に書き上げたのですが、本文の字数の5倍以上の量になり、これを指定した字数にするのに大変な作業を行いました。 これだけカットするには、氷のような意思で冷徹に作業をし、字数に治めました。

 話は変わりますが、芹沢光治良氏は、大正13年(1924) 11月29日30日東京音楽学校第48回定期演奏会でベートーベンの第9の初演を聞いています。 農商務省の仕事について触れていますので、29日が金曜日の方だと思います。この演奏会には、寺田寅彦氏や戦後すぐ、 東京音楽学校の学長になった夏目漱石の弟子である小宮豊隆が連れだって聞きに来ている。

 この2人は、直接芹沢光治良との関係は、管理人にはわからないが間接的には関係がある。

 小宮は東京音楽学校時代に万里子さんのピアノの先生だったレオ・シロタ氏がアメリカに行くきっかけを作った人であるらしい。

 軽井沢の星野温泉では、寺田寅彦氏がおられた。戦前のエッセイで、 東京から来た一高の生徒のレコードコンサートによく聞きに来た娘さんというのは、実名を出さないけれど、 寺田氏の娘さんを指しているのが読み取れる。

 話しは、どんどん飛んでいきますが、藤村は、作曲家の諸井三郎との対談で「子供の領分」 の楽譜を日本に最初に持って帰ったのは自分ではないかと話している。星野の別荘には、 明治の高名な作曲家広田龍太郎氏の別荘が芹沢光治良氏の別荘の近くにあるが、島崎藤村は、「子供の領分」が大好きでしたが、 この楽譜をパリの土産と持って帰った相手が「高安月郊君の娘さん」でありますが、この人が広田龍太郎のお嫁さんになった人である。

 

2007年11月17日

短編小説 『遙かなる祈り』

『遙かなる祈り』の中で、「メルバのアベマリア」と出てきます。メルバは、作曲者ではなく、 歌手の名前です。ネリー・メルバといい、Nellie Melba(1859-1931)と表記します。オーストラリアのバーンリーで生まれました。メルボルンで声楽を学び、その後パリに渡り、マルケージに師事する。1887年、 ブリュッセル王立歌劇場で「リゴレット」ジルダ役でデビュー。翌年、ロンドンで「ランメルモールのルチア」のタイトルロールを歌い、 成功を収める。89年には「ロメオとジュリエット」ジュリエット役でコヴェント・ガーデンにも登場。ベル・カントの女王として、 幅広いレパートリーを歌い、スター歌手の地位を築き上げました。

 次に、このアベマリアが誰の作曲家によるものか、アベマリアはいろいろな作曲家が手がけています。 ただ、この時代では、バッハとグノーのアベマリアが一般的で、『人間の運命』 にも次郎の親しい同級生が和田がコンサートでバッハのアベマリアを歌うところが書かれています。 芹沢光治良と同年の宮沢賢治もアベマリアというとバッハとグノーのそれを指しています。

 先程、メルバのアベマリアと書きましたが、 メルバが歌っているアベマリアの当時のEPを復刻したCDがあれば小説のものとおなじわけです。そしたら、 この小説の中で書かれているアベマリアを聴くことが出来ます。そのCDが見つかりました。明日月例会で持って行きます。 このCDはEMICLASSICS Nellie Melba  Opera Arias And  Songs です。

 皆さん、明日お会いしましょう。  

 

2007年11月19日

2007年11月例会

 最近よく聞く言葉にKYがあります。意味わかりますか?「空気を読めない」という意味です。「空気を読めない」者は、 浮かび上がってきますね。いじめの対象になってしまいます。学校の現場では、いじめの問題は大きな問題です。この量の多さは、 もしかしたら日本人の持つ文化というのか、少なくとも日本人固有のものの考え方にはKYというものがあると考えてしまいます。

 最近では、若者の個人主義の行き過ぎを耳にする日本であります。 KYという基準がまだまだある日本でかつ個人主義が確定されていない現代日本では、個人主義の行き過ぎを戻すとそのまま、 戦前の様子を呈するようになるのではないでしょうか?

 戦前のKYの世界では、KYがある意味極端にいったのではないか。後でふれる父親の発言に代表されるもの、戦場に立つ自分の若者に 「生きて帰ってくるな」という建前論を言わなくてはならない世界に戻るのではないか。

 もう一度、考えるとお父さんが、東京で有意義に生活出来るようになったのは、Not KY(空気を読める) だからと思います。 空気を読みながら有利な位置に着くと言うことではありません。KYの裏返しだと思います。自然と空気を読んでいたのですね。お父さんは。 その世相の流れにお母さんと共に Not KY の生き方をしていたと思います。周りの人も、Not KY ですから、 ある意味得意の絶頂になっている。お国のために」町の中で、「お国のために」防護団として有意義に動く。「わしは、 あれが戦死するように神様にお願いしているのだよ・・・」(P311 下の段)娘も深い父の愛がまだくめなかったと書かれている。

 こんな極端な事を言っている人がメルバのアベマリアを聴いて、本当の人間の本質をふと思い出させている。ちゃぶ台(P313) 「母は葡萄を盛ったお皿を前に、両手を膝に置いて」と書かれています。小さいちゃぶ台この姿が人間の本質を表している。「生きて帰って来い」 と言葉で話す事は、ありません。しかしその姿を願っている。

 KYですけど、あるテレビ曲が社員を募集していますが、その条件に「空気を読める」という言葉を出しているのはどういうことか? マスコミゆえに空気を読んで先に立ち働くのが必要なのだろうか。

 17日の記事では、CDについてふれました。私がその時に紹介したCDは、EMICLASSICS (LC06646)の Nellie Melba  Opera Arias And  Songs には、 Bach-Gounod のAve Mariaが入っています。W.H.Squre(Cello)の伴奏もついています。ところが、  Nellie Melba の Bach-Gounod のAve Mariaは、もう一つ録音があることがわかりました。これは、 ヴァイオリンが入ったもので、ヴァイオリンはラファエル・クーベリックのお父さんであるヤン・クーベリックであります。 先にヴァイオリンが一通り旋律を弾き終わってからメルバのソプラノが始まる。(Victrola 89073)  どちらの録音がその時聞かれたものか、わかりませんが、家族そろって再生される演奏を家族3人耳を傾け、涙を流す。美しいと思います。

2008年01月23日

音楽と女性 1

 1960年(昭和35年)に『女生のための音楽教養講座』 第二巻 が出版されました。その中で 2 音楽と女性

というところで芹沢光治良氏も執筆しています。目次を見ますと、音楽と女性 野村光一氏が書かれています。

次に音楽家と恋愛という章が始まります。その最初のページに芹沢氏は、「モーツアルトの結婚」を書いています。

他にどなたが書いているかここに記します。

 「不滅の恋人」について ーベートーベンー  佐多稲子

 佐多稲子氏は、戦後の女性をめぐる様々な問題を発表いています。佐多が描くベートーベンの「不滅の恋人」 にも興味が湧きますね。

 「不滅の恋人」問題とはベートーベンが亡くなった翌日、一通の恋文が発見された事から始まります。 ベートーベンが遺言書に書いていた有価証券を探している時、有価証券が見つかった人目のつきにくい秘密の場所に、 女性のミニチュアの肖像画と共に、その恋文が発見された事から始まります。当然、この恋文の相手は誰かということで、「不滅の恋人」 の問題が始まったのです。その恋人は、20世紀前半まではエルデーデ伯爵夫人と言われていた。

 しかし、この「不滅の恋人」問題の過程で、ベートーベン像が変化してきました。 ベートーベン像は超人的で悲壮感をただよわせた英雄のイメージですよね。小学校の音楽室に飾ってある肖像画のようなものです。ところが、 ロマンロランの「恋人」研究で、フランス革命後の自負に満ちた芸術家に変わってきている。 暗い悩んでいるベートーベンの姿は見られなくなったようです。

 一度音楽室の肖像画がまかれてしまうと、なかなかそのイメージを払拭するのは難しいのですね。 超人的で悲壮感をただよわせた英雄のイメージは私達日本人好みなのでしょう。

結局、1970年代にアントーニア・ブレンダーノという説が出てきた。アントーニア・ブレンダーノは、 オーストリア宮廷の重臣だったビルケンシュットク伯爵家出身で、富豪フランツ・ブレンターノにのぞまれて18歳で結婚。 ところが嫁ぎ先にはなじめず、重度の心身症を患うかでになるのは、まさしく女性問題で、佐多稲子氏は、どう書くか、 又芹沢光治良氏はどう描くか興味を持ったがこの本が書かれたのは、1961年なので、アントーニア・ ブレンダーノ説はまだ知らないことになります。

 

 愛は無限の喜びを歌う ーウエーバー    畑中良輔

畑中良輔 バリトン歌手、音楽評論家、東京芸大で教える。

 わが恋もまた終わらず ーシューベルトー  小堀杏奴

  小堀杏奴(こぼりあんぬ)は、森鴎外の二人目の妻の次女で、エッセイストだから、 あのエステル伯爵の娘のカロラインの悲恋だろうか?しかし、これは事実ではないといわれているけど、どういうことを書いているのか?

 エステルとアンリエット ーベルリオーズー  尾崎喜八

 尾崎は、ロマン・ロランを原書で読みたいためにフランス語を習い、自分の詩集をロランに送り、以後ロマンと文通する仲になった。 また、ベルリオーズの著作である「ベートーベン交響曲の批判的研究」の翻訳を手がけているのでこの人選になったのだろう。

 女の愛と生涯      ーシューマンー    新田 潤

新田潤は戦前、戦争中でも反権力を貫いた人であり、文壇野球チームのメンバー。そのメンバーは、調べると田村泰次郎、井上友一郎、 獅子文六、今日出海、船橋聖一、石川達三、河上徹太郎

 シューマンは、母の希望に従って法律を大学で勉強するが、本当は、文学と音楽に情熱を傾ける。その時、 憧れのピアニストフリードッヒ・ビークに出逢い、娘のクララ演奏を初めて聞く。ここから新田氏はどう書いているか?なぜ新田氏が書くか、 読めば何かつかめるのではないか?気になりますね。

 

 悲恋のピアノ詩人   ーショパンー      小山いと子

 小山いと子氏は、直木賞作家で、この頃は作品が良く映画化されている。

 狂詩曲の人       ーリストー       芝木好子

 芝木好子は浅草出身の作家。作品が映画化されている。芥川賞作家で女の夢と愛を端正な文章で織り上げた作品を書く。それで、 リストをどう書いたのだろうか。

 ワーグナーと女性                 河上徹太郎

 河上は、東京府立一中で小林秀雄の一年先輩。一高の時に休学し、ピアノを習う。東京帝大生の時に「音楽に於ける作品美と演奏美」 を発表する。文芸評論家で音楽評論家。

 恋愛から芸術へ    ーブラームスー    吉田秀和

 などが見られます。

 これらすばらしい執筆陣の名kで音楽家と恋愛という項目の一番目にモーツアルトの結婚ということで

芹沢光治良氏が執筆していることは、その音楽的教養、音楽と女性というこの本の目的から、 女性の生き方を書いてきた芹沢氏はまさにふさわしいものと思います。

   

 芹沢先生が、「モーツアルトの結婚」では、どのように書いているか、興味有りますね。書き出しは

モーツアルトの音楽とその生涯を思う時、私は一つの挿話を思い出す。

 この原稿を書いている30年前、パリで勉強していた頃、先生が作家になる前の頃です。

 続く

2008年02月09日

モーツァルトについて  野沢さんからのコメント

芹沢光治良が書いた『モーツアルトの結婚』の紹介文について、野沢様からコメントをいただけました。

ちょっと待ってェという感じで反応させていただきます。私が介入する事は、この場合、祖父、 芹沢光治良に反発する結果になるかもしれませんが、モーツァルト夫人であったコンスタンスは、 本来は姉貴に恋慕していたモーツァルトと結婚した後、何人もの子供を失った上に、天才と崇めていたいたダンナも亡くしてしまった後に、 結婚に対して大反対であったナンネルと教育パパでもあったレオポルドといった過程があったザルツブルグに移住して、 モーツァルトの銅像建造に奔走したり、今でも有名なMozart Kugeln標章のチョコレート等の、ザルツの土産物品を開発したり、 モーツァルト顕彰に関しては、最期まで頑張った凄い女性と、私は学びました。その意味ではコンスタンスこそ、「愛するものでなければ、 本当に作者の心をくみとってくれないというのが、あらゆる芸術を鑑賞する場合の心理である」を体現していたのではないでしょうか。 モーツァルトがザルツブルグに戻らなかったのは、結婚に反対した父親への返答ではなかったか?

当時の、ウィーンでの埋葬は、女性が墓地まで行けなかった慣習にも関係して、 ですから無名墓地に大多数一緒に放り出されてしまったモーツァルトの頭蓋骨を捜しだす為には、毒殺した本人とも、 ある史実には残っているサリエリの助力も得たそうですね、これは私、愛した者に対する怨念として受け止めました。 少なくとも宮廷シリーズ6曲、ウィーンシリーズ6曲、 三大ソナタと言われるピアノとヴァイオリンのソナタ15曲を必死に勉強した私が得た、作曲家の背景であります。そして今は、 何故モーツァルトがフリーメーソンと交わって、晩年に「魔笛」を作曲するに至ったか理解しようとしています。ええと、 魔笛公演に際しては、コンスタンスのみならず、かつて思慕していた義姉も「夜の女王」として歌っていたのではなかったかしら?

 野沢様からのコメントを読んで、「モーツァルトがザルツブルグに戻らなかったのは」は 「モーツァルトがザルツブルグに戻りたくなかったのは」と変更させて下さい。私の書き間違いでした。事実、モーツアルト夫妻は、 結婚した翌年の7月にザルツブルクを訪問し、3ヶ月滞在しています。10月26日に『ハ短調ミサ』の初演で、「いとしの妻」 はコンスタンツェによって歌われています。

 この結婚について、父レオポルドは、「ふつりあいな結婚」に踏み切ったことに衝撃を受け、 息子を捕まえようと徒労に終わった必死の試みを結婚前から開始します。歓迎されない結婚として例えば、 前記のザルツブルク訪問の時コンスタンツェは実際舅から何一つ贈り物をもらっていません。指輪さえも。 モーツァルトもこの父の態度については傷ついていたらしい。

 モーツァルトの姉、ナンネルとモーツァルト夫妻との関係はどうでしょうか。ナンネルは父の死を、 モーツァルトに教えていないだけではなく、危篤であることすら伝えていません。 彼らの交信は1780年代の半ばころから極めて少なくなっています。彼らは、互いの結婚式に列席していないし、、 互いに相手の子供達の顔も見たこともありませんでした。モーツァルトの死に関してもコンスタンツェの間とは何も交信がなかったらしい。

 この事実から、モーツアルトの死後、出版されたモーツアルトの伝記は、「父に逆らって自分 (モーツァルトのこと)にふさわしくない娘と結婚した。それゆえ、ヴォルフガングの死に際、 そして死後も家庭に生半可ではないごたごたが生じたのだった」というナンネルの回想録をそのままシュリヒテルの伝記に引き写した。一方、 コンシタンツェはニーメチェックに、自分に不利な所を除いて書簡の情報を提供し、夫の伝記を書かせている。 この伝記の争いもコンスタンツェの二度目の夫ニッセンの手による「モーツアルト伝」をニッセンの死後2年目に刊行され、 分裂した初期伝記群に終止符が打たれたとされています。

 モーツァルトの死後に姉のナンネル、妻のコンスタンツェの立場の違いが表に表れたようです。

 この流れの中で、「コンスタンツェの悪妻説」に説得力をもたしたのが、モーツァルトの埋葬についてです。 野沢氏に書かれているように当時のウィーンの埋葬は、女性が墓地まで行けなかった慣習」があります。

 モーツァルトが亡くなったのは、1791年12月5日です。この当時の規定によると冬は、 遺骸を午後6時以前に墓地に運んではならないことになっていました。だから6時頃に、霊柩馬車について、 聖シュテファン教会から聖マルクス墓地まで徒歩で行き、行けば帰らなければなりません。6時過ぎると暗くなり、街灯もなく、 霊柩馬車を運転している者が酒好きだったら、途中に居酒屋があれば居酒屋によって墓地まで運んだという証言もあります。 したがって女性だけでなく縁者はついて行きたくても行くことが出来なかったのです。モーツァルトの亡くなった夜は真闇で荒れ模様でした。 死者への最後の祝別の儀式の時は、嵐が始まり風雨が強くなりました。雨混じりの雪の中、遺骸の野辺送りをしたのは少数の友人と3人の女性。 ここにコンスタンツェがいなかった。

 聖マルクス墓地に着いた遺骸は、一番手近の墓穴へ入れる。放り込んだらすぐ、シャベルで土をかける。 衛生的になる目的で行われたそうです。

 モーツァルトの遺骸の在処を知っているのは、墓堀人足だけです。

 ヘルミーネ・クレーターの『W・Aモーツァルトの墓』によれば、コンスタンツェに、 夫の墓に十字架を立てるべきだと最初に言ったのは墓堀人足です。 ここでようやくモーツァルトが埋葬される場所を知っている人間が現れるはずでしたが、 後にある人が当の墓堀人足に尋ねようと墓地に出かけたところ、その人足はいませんでした。そして発見できなかった。 コンスタンツェは墓に十字架を立てるのは司祭の仕事だといって何もしなかった。ヨーゼフ・ダイナーに、 コンスタンツェにこの簡単な仕事を実行するよう説得しましたが、「彼女から剣もほろろにあしらわれた」という。コンスタンツェは 「司祭が十字架を手配するもの」と繰り返し、実際に建てられたかどうか、確認もしていません。 コンスタンツェは自分をもっとも優しく愛してくれた人、 その栄光ある名前で恩恵を与えてくれた人の埋葬場所を訪れたのはー既に所在不明の場所として評判になっていたがー17年の歳月がかかりました。

 こうした行為が悪妻説につながっていると思います。アルトゥール・シューリヒトは、 「こうした行為はコンスタンツェの冷淡さを示すだけではない。彼女が感謝と愛の気持ちを持って動かなかったことは、 悪意でないとしたら激しい敵意の表示遺骸の何ものではない。」と言い切っています。

 コンスタンツェについては、1988年、ハワード・チャンドラー・ランドンは、セクシーな仔猫で、残薄で、 モーツァルトを理解する能力のない愚かな女で、家計の管理能力が欠落し、 モーツァルトを性的に惑乱させた淫乱の悪女だったというこれまでの長きにわたって定着していた誹謗中傷の根拠は、 レオポルドとナンネルの感情にあるとして、他には何処にも見いだせないと論証しました。

 野沢氏の指摘はそのレッスンでの過程で得た貴重なコンスタンツェの事実だと思います。しかしハワードの説は、 モーツアルトの埋葬については、どう結論しているのか興味があります。

 

2008年08月31日

レオ・シロタ氏について  映画「シロタ家の20世紀」

 作家芹沢光治良と音楽家の関わりに、まずあげられるのは、レオ・シロタ氏です。シロタ氏は、 膨大な曲目をレパートリーを持ち、きらきらと輝く音色と、素朴な、ほとんど潔癖とさえ言い得るほどの解釈が特徴的であり、 これらを支えていたのは驚異的な超絶技巧でありました。シロタ氏は、ユダヤ人でロシア領だったウクライナのカミェニッツ・ ポドルスキの出身である。たびかさなるユダヤ人迫害と第2次世界大戦中のホロコーストによってシロタ一族は19世紀末、 迫害を逃れキエフに移った。そして、日本まで逃れてきた。1929年からは日本での17年間、ピアニストの育成と演奏活動で、 日本の楽壇に貢献する。この時、長女の万里子さんが、シロタ氏に師事しています。東京芸術大学の教授をしていたシロタ氏は、戦後、 惜しまれながら教授職を辞し、アメリカのセントルイス音楽院で教鞭を取りました。戦後、 シロタ氏から万里子さん宛にセントルイス音楽院に勉強に来るように手紙が来ました。残念ながら、これは実現しませんでしたが、 万里子さんとシロタ氏の師弟関係の様子がうかがいしれると思います。芹沢先生の代表作『人間の運命』 で戦争中長女が軽井沢の外国人のピアノ教師のところにレッスンに通うのは、レオ・シロタ氏を指しています。

  娘のベアテ・シロタ・ゴードンは、日本国憲法の草案に「男女平等」の文言を加え、2005年に「ベアテの贈りもの」として、 映画になりました。

  今年、万里子さんのピアノの先生だったレオ・シロタ氏についての映画が岩波ホールであります。「シロタ家の20世紀」です。9月27日(土) ~10月17日(日)の3週間です。

  芹沢光治良に関わってきた人、具体的にみていく一つの機会になると思います。

 岩波のホームページを観ると、 

 この映画は文化事業の為に遺された藤田晴子の志を受け継いで作られた。  とあります。

 藤田晴子(大正7年~平成13年)という人は、東京大学法学部に最初に入学した女性で、東京生まれ。 ピアノをレオ・シロタに師事。昭和13年日本音楽コンクール・ピアノ部門第1位。国立国会図書館の専門調査員(事務次官級) 等を務めた才能にあふれた人です。勲三等瑞宝章受章。 藤田氏の遺産でこの作品が作られました。

2009年01月25日

月例会 2009年1月25日(日)

 

1月25日(日) 13:00-17:00
 会場) 東中野地域センター 洋室1・2  三越マンション
東京都中野区東中野4-25-5-101 TEL 03-3364-6677
 テキスト

短編小説「みれん」 『芹沢光治良文学館10』短編集 死者との対話 122-140頁
新潮社 平成9年4月10日

 

 

 本日は、月例会です。管理人の私も今日は、仕事もなく参加するつもりです。

今月のテキストは、「みれん」です。

なかなか素晴らしい短編小説です。戦後の不幸の中での、持岡先生の働きがこの小説に登場する夫婦にあるものを与えていると思います。 いろいろ教えられました。

 私の読後感よりは、この短編に出てくるメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲について考えて見たいと思います。

私達が音を聞くとき、物理的な音響を聞くだけでなく、そこに表れてくる具体的なものを浮かべる事があります。 抽象的なものと異なるものです。表象という言葉がよく似合うのではないでしょうか?表象とは、哲学・心理学で、 直観的に心に思い浮かべられる外的対象像をいう。

 芹沢光治良は、自分の作品の中では、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を平和を欲する時などに出演(?)させます。

 芹沢光治良は、平和というイメージとこの曲が重なっているのでしょう。 音楽を聞くことによって平和という表象が浮かんでくるんでしょう。

 音楽を受容するということは、物理的音響としてではなく、私達の心の中で、又は意識の中で何か別な物に変換させる作用があります。

 芹沢光治良は、氏自身の音楽を表象化された作品(メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲)を作品に出すことによって、 読者の理解を深める事に解決を与えています。

  メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64

 有名な、哀愁に満ちた第一主題は、印象的です。 先の芹沢光治良文学読書会の全国大会のコンサートで聞きました。生演奏で、芹沢光治良のお孫さんである野沢女史の第一主題を聞いていると、 平和のすばらしさを感じている自分に気づきました。

 芹沢光治良は、文学作品に音楽をたくさん入れていますが、詩に音楽作品をいれたのは、芹沢光治良と同年生まれの宮沢賢治です。

小岩井農場

  パート1より

 居る居る鳥がいつぱいにゐる
   なんといふ数だ 鳴く鳴く鳴く
   Rondo Capriccioso

  Rondo Capriccioso は、メンデルスゾーン作曲 ロンド・ カプリチョーソ ホ長調  op.14 を指している。

 詩には、音楽作品の表象化は、表現手段としてやりやすく、興味深いものが生まれますが、 小説という形態ではなかなか難しいと思います。

 宮沢賢治の童話で「セロ弾きのゴーシュ」があります。

 この小説の始まりで

 ひるすぎみんなは楽屋にまるくならんでこんどの町の音楽会へ出す第六交響曲の練習をしていました。
 トランペットはいっしょうけんめい歌っています。

  この第六交響曲というのは、賢治研究家の人の間では、ベートーベンの第六交響曲「田園」を指していると言われていますが、 引用した部分では、田園には、トランペットがいっしょうけんめい歌うところはありません。

  なぜ、ベートーベンの田園かというのはいろいろ理由をつけていますが、ここでは長くなるのでふれません。私は、 田園に限定するのは、疑問を持っています。少なくとも「田園」という曲を知っている宮沢賢治があえて第六交響曲としたのは、 もう少し考えて良いと思います。「田園」ということを作品名を出すことによって表象化されるのを避けたのではないでしょうか?

 それでは、今から月例会に行ってきます。

 

  

「セロ弾きのゴーシュ」という作品が

2009年08月31日

『天国に続く道 第2章』 CD

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大徳寺昭輝氏のCD『天国に続く道 第2章』が発売されました。
 以前発売された『天国に続く道』では、大徳寺氏の素直な伸びやかな歌い回し、編曲の素晴らしさ、メロディや歌詞の新しさに驚きました。特に、J-pop調のメロディを弦楽四重奏やクラリネットやホルンにソロを持たせるなあどクラシカルな室内楽の編曲を成功させた稀なCDだと思います。編曲の力とプロデユーサーの力だと思います。
 ポピュラーな作品で、弦楽四重奏曲を伴奏に用いて成功したのはビートルズの「イエスタディ」やサイモンとガーファンクルの「旧友」など余り数はありません。
 また「天国に続く道」は、歌詞も印象に残りました。

天国に続く道
作詞作曲高野 寛 編曲/フェビアン・レザ・パネ

眠れよ安らかに夢を泳ぎ天国まで
やがて陽は昇り夜明けと共に生まれ変わる

という歌詞で始まります。

 何も注意しないで、優しい口調で始まるこの歌は、子守歌のようなイメージを持って聞いてしまいますが、
 何度でも聞いて見ると
 今亡くなった人の前で歌うレクイエムという事に気がつきます。
 曲のさびは、おとなしく控えめである弦楽器群が大きく盛り上がります。
 
 歌詞は、
 急に意識が遠くなる。瞳閉じても広がる景色
 なつかしい人にたくさん会える
 ここはどうやら時のない所

 まるで大徳寺氏が、死に行くような体験したような臨場感を持って歌われます。
 しかし、それが恐ろしいものではないのです。天命をまっとうすると、安心がまった いるようなイメージを持ちました。これは、ポップスのレクイエムですね。

 14年後に『天国に続く道 第2章』が、発売されました。11曲中
  ①天国に続く道(2008ヴァージョン) 作詞・作曲・高野寛
  ②地図にない町(2008グァージョン) 作詩・作曲:大貫妙子
  ③海を見つめて(2008ゲァージョン) 作詞大徳寺昭輝/高野寛 作曲高野寛
  ④流れ星(2008グァージョン) 作詞・作曲:忌野清志郎
  ⑤虹(2008グァージョン)   作詩:湯川れい子 作曲:大徳寺昭輝 補作曲.高野寛
  ⑥福鈴(2008グァージョン) 作詞・作曲大徳寺昭輝

  6曲は、『天国に続く道』と同じ曲で、伴奏も『天国に続く道」のマスターテープを使用して、ヴォーカルトラックのみを吹き返したと『天国に続く道 第2章』に断ってあります。

 そういう面で、この14年間の歌手としての違い、歌い手の大徳寺氏の変遷を聞き取れるという興味深いアルバムだと思います。

 ただ、CDで聞くということは、CDの制作に携わる方の考え方が如実に表れます。デジタルで録音するからといっても、録音に対する考え方の違いが、CDの音に表現されます。

 『天国に続く道』、『天国に続く道 第2章』は、プロデユーサーの構成が違います。CD制作のメーカーが違うという事は、録音のスタジオ、マイクの選択、セッティングなど、同じではありません。

 両方のアルバムは、基本となる曲はたくさん被さっていますが、一章、二章と連続しているものでなく、別のCDと捉える事が出来るほどの演奏、再生の違いがありました。

 以上が私の感想です。

 

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