第335回    ●  芹沢光治良文学愛好会   『2005/6−7月 読書会の報告』

 長編小説「懺悔紀」 昭和18年の作品 (6月,7月 全2回)

芹沢光治良文学館4「ここに望あり」新潮社 平成8年4月10日発行

@6月26日 司会 二司俊子様 参加者24名

A7月23日 司会 小林茂樹様 参加者24名

6月,7月分を纏めて報告させていただきます。

『参加者の発言より』

・ 頭で読のではなく、心で読むことが必要である。

(心で読むとは、感覚的には、理解するが、どうのようにすればいいのだろう。)

・ この作品で、先生は何を「懺悔」されたのか?

・ この作品は、ピカソの描画の手法に似ていて、3画面的で面白い。

・ 節子が離婚した時、なぜ岩尾は節子と結婚しなかったのか?

  また、節子の離婚で、反対に結婚を決意できた。 男心が理解できない。

・ 岩尾と妻との成長。岩尾は、自分本意で精神の成長を求めているが、

   妻が病気になって初めて、妻と一緒に成長する喜びをしる。

・ 多くの登場人物を死なせている作品だ。

・ 妻に理想の女性をもとめるのは、女性としては不幸ではないか?

・ 「静夫の自殺」は、戦争の悲惨さを訴えたのではないか?

・ 現在でも、社会に役立つ人間か、役に立たない人間かを判断しており、弱者はどう生きれば    いいのか? 

   生きる存在価値は、家族の愛によって解決するのでは・・。 

・岩尾は、少年時代、父の信仰()を信じた。しかし、父の信仰(神)を離れ、精神を磨くこ    となく、事業と自分をすり減らして金を得る。 ふと、若い時、アッシジで感じた神を求る    。 エゴイスト的に自己を確立しようとするが

神を知ることができない。「娘の死」、「母の死」、「妻の死」、「魂の息子(静夫)の死」。
  ・岩尾は故郷の人間になる努力する。故郷の自然と同じ呼吸をするのが感じられてくる。 神が   あるとかないとか、心で求めるのではなく、故郷の自然の一部として信仰に入る覚悟をする。  

この作品を読んで、「宗教とは」「信仰とは」「なぜ神を求めるのか」

「自分の信仰生活とは」「どんなときに神を感じるのか」「神を知るためにどのような精進す   るのか」 など自分に問う機会を得た。

 

皆さんも一度、じっくりと考えてはいかがでしょうか?