『2005/月 第333回 読書会の報告』

日時 4月24日(日) 13:00〜17:00
会場 東中野地域センター  洋室:1〜2(1階)
東京都中野区東中野4−25−5−101 TEL 03-3364-6677
テキスト 短編小説 『習俗紀』 改造 昭和11年10月号   
平成17年2月〜3月の送付資料より

司会 池田三省


●『習俗紀』 (昭和11年10月(1936年)作品) 参考資料
                            
(1)昭和11年(40歳)ごろの他作品と略年譜 
@作品
・ 「春箋」(S10/9-S11/3) ・「風迹」(S10/6) ・女鏡(S10/9)
・ 「部落はづれ」(S11/3)・「大鷲」 (S11/5) ・「大佐と少佐」(S11/9)
・ 「皮膚」(S12/2)・「天蓋のもと」(S12/6)・「愛情の蔭に」(S12/4)
A 略年譜
・昭和10年: 日本ペンクラブ会計主任となる。
・ 昭和11年: 実母はる死去(享年61歳)(9月)。
・ 昭和12年: 石丸助三郎死去(10月)。 義母藍川しむ死去(12月)

(2)芹沢光治良の「信仰の書」(私的な見解)
    (注:各作品内容は、芹沢光治良文学館のホームページ より抜粋)
@ 習俗紀 (1936/10 S11年  40歳)
高校の同級吉田が「母を殺した」と言って飛び込んできた。吉田の両親は天理教に生涯を捧げた家であったが、母が病に倒れても病院に診せもせず、身内の信者に地獄の苦痛のような「お授け」をされながら死んでいったのだ。
A 皮膚 (1937/2 S12年  41歳)
『習俗記』の続編。吉田の弟五郎は天理教から心身共に離れる決心をして上京したが、思わぬ事故から病に落ち、望まぬ故郷に帰ることになる。迎えに行った吉田が見たものは、再び信仰に戻った五郎の姿だった。
B男の生涯 (1940/7 S15年 44歳)
・1941/4まで連載。作者が生まれてから初めての洋行をするまでの半生を綴った自伝。
C秘蹟-母の肖像- (1941/10 S16年  45歳)
両親が信仰した宗教を批判する小説を書く弟へ、ずっと両親のそばにあった姉から手紙が届く。
(母が父の信仰のためにすべてをすてて、父に従って素朴に生きぬいた一生を書いた作品。信仰や生活の無償性の貴さを書いた。 
信仰と言うものが結果を求めるのではなく、信ずると言うことの中に、生きた神を発見して、よろこんで一生を送った父や母の生活を描くことで、
私自身も、日々の生活のいとなみに、結果をもとめずに純粋に生きようと発心したかった。) 
D懺悔紀 (1943/6/6 S18年   47歳)
1944/5/28まで連載。作者と同様に天理教の土壌で育った男が同胞のような作者に自分の生涯を懺悔する。
Eうちのイエス (1950/9/20 S25年  54歳)
小説家常吉の知人菅原は、原始キリスト教に帰依して、神の声を聴こうと修行するうちにローズと名乗る天使の声を聴き始める。 
F教祖様(1950/10/29 ― 1957/9/8  54歳-61歳)
1957/9/8まで連載。天理教教祖中山みきの生涯を作者の視点で書いた伝記。
G神の微笑 (神シリーズ)(1986/7/20  S61年  90歳)
信仰の中に育ち無言の神の要求を文字に込め続けた作者の人生の集大成と言える『神のシリーズ』。

《習俗紀の疑問点》
@何故、天理教教団の批判しなければならないのか?
A実母が本作品の発表(10月)前に亡くなっている。
 母親を何故卑しく描いているのか?
B幼い頃、身についた教えは消し去ることは出来ないのか?
Cこの作品から秘蹟までにどのような心の変化があったのか?
D母の病床での最後の言葉「神の恩を忘れて、私を殺しにきたのだね」
 この言葉の思いをどのよう受け止めればいいのだろうか?                                       以上

●『当日の参加者の感想より』
・教団と「天の理」(教え)を区別して考える必要があるのでは?
・父親の生き方は許せない。(妻、子供、親族を犠牲にするべきではない)
 家族をもつべきではない。
・父親は、信仰が「何であるのか」を感じ、それが子孫を幸福にすると感じた から、全てを捧げて信仰の道に入ったのではないか? その「その何か」を 知りたい。
・なぜ、この作品を書かなければと思ったのは、中山みきが説いた「教え」が
 歪められているのを本来の「教え」に正すことを願って書いたのでは?
・宗教心とは、人間の無意識の価値判断では?
・魂が救われるの宗教ではないのか? 教えが戒律になり、戒律を守る事が
 宗教になっているのでは?
・父親は、家族を経済的に不幸にしているが、周りの人々を幸福にしたので 
 は?、また、母親は、天理教にはまった、典型的な信者として描かれている
 のではないか?
・信仰に頼るのにはそれなりの事情があるのではないか?(身情、事情、理情)

まだ多くの意見がありました。

●「僕のインタービュー」中山善衛対談集(S37/10/26)で先生は、以下のお話をされています。
・唯一、天理教に感謝しているのは、自分の作品の中で、人をうつもの、人を感動させるものが仮にあるとすれば、それは、天理教の中で貧しく育った頃に、心に蓄えたものであろうと思っています。 実際その後に、そういう精神的と言うか、魂に得るものを経ていないのです。