『2005/月 第332回 読書会の報告』
 3月26日 短編小説『戯れに恋はすまじ』
 「戯れに恋はすまじ」 昭和21年5月 新風 
 芹沢光治良文学館1「死者との対話」 新潮社 平成9年4月10日発行
 司会:豊田節子  参加者:17名

 

 美保子は闇市で五年ぶりに佳成に出会った。女学校の頃、近所の伯母の家に三ヶ月だけ下宿していた佳成に心惹かれ、「僕が迎えに来るまで待てる、幾年でも」という、佳成の言葉に従い縁談を断り待ち続けた美保子は、終戦を東京で迎え、音信不通だった佳成に偶然出会う。喜び勇んで佳成の家に向かった美保子だったが、そこにいたのは佳成の若い妻だった。

 

参加人数が少なかったが、大変白熱した議論が展開された。

もっとも議題に上ったことは、佳成の人間性についてだった。

求婚したからにはきちんと責任を持つべきだ。立派なことを言っておいて責任感のない酷い人、という意見に対し、美保子は一途でひたむきすぎていて考え方に幅がない、音信不通になった時点で悟るべきだった。人間は進化するもの、考え方も変わって当然だ。戦時中、生死の境をくぐり抜け過酷な経験の後、生き残った佳成は、終戦を迎え辛い記憶と共に全てをリセットしたかったのではないか。死と向き合い人生観が変わる、そういう心理は理解できる、と言う意見がでた。

美保子は結婚への願望が強く、そのため盲目になっていたのではないか、もっと広い視野を持つべきだ。

佳成は美保子の美しい人間性に対して自らを卑下し、身を退いたのではないか。

北に生まれ育った人と南に育った人とでは、文化が違い、性格にもあらわれるのだう。

佳成はわざわざ帰って求婚したにもかかわらず、手紙も書かずに誠意が感じられない。会った時に直ぐに結婚していることを告白しなかったのは、後ろめたかったからか。美保子のことは戯れに過ぎなかったのかと思う。など議論はつきなかった。

 他に、便りがないのは無事な証拠と、耐えながら信じ続ける美保子は大和撫子、日本女性の理想。と言う意見や、こういう事は当時良くあった。珍しいことではない。または、

当時の女性は、結婚だけに向くよう書物などの情報を遮断され、同年配の男性と近づくことも禁じられていたから、精神年齢も若く純情でうぶだった。など当時の体験談をされ、現代では考えられない当時の女性の待遇や環境に、美保子の一途さも理解できるところがあった。

 作中の詩のように、どのような仕打ちを受けようとも、傷つき悲しんでも、野の草のように生きていくしかないという美保子の逞しさと強さ、しいては、終戦直後の日本人の逞しさと強さが悲しい中にも感じられる、そんなメッセージを持った作品だった。