『2005/
月 第331回 読書会の報告』
 月27日 長編小説『女の運命』481〜516 第二回
 「女の運命」 昭和17年5月20日 全国書房 
 芹沢光治良文学館1「命ある日」 新潮社 平成7年10月10日発行
 司会:豊田節子  参加者:25名

 

 親友のつや子から節子は縁談を持ちかけられる。つや子の上司、野口部長は妻を亡くし二人の男の子がいたが、家柄も財産も申し分ない人物だった。しかし、節子は筋を通し家に話すように言って別れる。その時から野口への愛が生まれたように、節子は家からの連絡を待ち、野口との家庭を想像しては良き妻になろうと心にあたため、辛い女中生活に耐えていた。そんなある日、母が会いたいと言ってきた。縁談の話に違いないと節子は家に帰るが、待っていたのは妹の縁談話への承諾だった。快く承諾したものの心の晴れない節子は、後日偶然にあったつや子から縁談は断っておいたと告げられる。悲しみを隠す節子に、つや子は自分との同居をすすめる。夕食の用意を遅れ辛く当たられた節子は働く意義に疑問を持ち、大森家を辞しつや子との同居を始めた。しかし、つや子は野口先生との結婚を決意し、それを節子に告白する。堪らず家に戻る節子に母親は帰宅を許さなかった。節子は真面目な仕事を見つけ、その仕事と結婚したつもりで地に足を着けて生きていこうと決心する。

 

 前回話題になった「心貧しき人」について、意見が出た。「歎異抄」の悪人正機説の悪人と貧しき人が通じるのではないか、心を霊に置き換え「霊の貧しき人」は、信仰心の貧しい人、または、何も持たず、何を貰っても有難いと謙虚に喜ぶ人、心に余地がある人、何もない、何でも欲しいと霊的なものをどん欲に求める者ではないか、誇れるものを何も持たないので全てを神に委ねるしかないという謙虚な心の人、という意見が出た。

 節子の行動を健気で好感が持てるという意見に加え、自主性があるが空回りしている、善意が悪意に解釈されている、または、まじめすぎる、もう少し幅のあった人間らしさがあれば良かった、と言う意見も出た。つや子に踏みにじられても黙っているのは、長女の消極性、弱さではないか。

また、つや子の結婚は上手くいかないのではないかと言う意見も多かった。食事の後片づけもしないような心ない人、相手を思いやれない人という評価が多かったが、野口への思いは長く、言い出せずに悩んでいたところで節子を利用して、決心したのではないかという感想もあった。

 最も意見が分かれたのは母親の存在で、良い母なのか愛情があったのか、意見は両極端に分かれ、議論は平行線で終わってしまった。

この時代に自活も出来ずに家長に付いていくしかない母親は、最善の方法として事を荒立てず穏便に済まそうと、すべてを胸のうちに収め、父親の浮気や愛人に目を瞑り、ひたすら信仰に打ち込んだ。そして、娘に物事の筋道、道理をきちんと教える明治の女、良き母だったのではないか。と言う意見に対し、全ての元凶は母の愛情不足からではないか、もう少し自分を出して、父親に対して思いを告げるべきではなかったか。信仰に逃げて家族に目を向けず、世間体ばかりを気にしていて見ていて腹立たしい。などという感想も出た。

 その他のものとしては、この父親に対して、母親が黙っていたのは、じつは父親に魅力があったからで、熱情や迫力のある父雄だったのではないか、という意見。

また、妹、富子の結婚への決心はなぜできたのか。というものに対して、富子の決心は自己陶酔でしかなく、空想だけで相手を理想化してしまったもの、現実的ではないので心許ないという意見がでた。

他に、女の運命いとう題名に相応しくないような、デッサンのような作品、現実はそう簡単ではない、物足りない。もっとぎりぎりの生活をしている者ばかりで、こんな甘いものではない。職安に行っても生涯を捧げるような仕事はなかった。どんな仕事でも辛抱が大切という、辛口の意見も多かった。

この時代の女性の自立の難しさ、結婚以外の価値観を持たせない教育の恐ろしさ、それに立ち向かうことの厳しさがわかり、今の時代の良さと、筋道や道理の希薄になった現代の共通価値観を持つことの難しさを改めて感じる有意義な会となった。