『2005/月 第330回 読書会の報告』
 月23日 長編小説『女の運命』445〜480 第一回
 「女の運命」 昭和17年5月20日 全国書房 
 芹沢光治良文学館1「命ある日」 新潮社 平成7年10月10日発行
 司会:田村英里  参加者:25名

 

 主人公節子は、適齢期を迎えても親が縁談を世話してくれず、家で女中のように働くが、妹たちの手前肩身の狭い思いをし、加えて、父親の妾問題、母親の熱心な信心に悩み、家庭が崩壊するのではないかという懸念を抱く。自己犠牲の精神で他家の女中になり、皆の反省を求めようと決心した節子は、家出して大森邸に女中として住み込むが、同僚の女中達と馴染めず苦労の日々を送る。それでも節子は、良心的な女中になろうと健気に奮闘するのだった。一方家では、節子の思いとは裏腹に、父も母も反省するどころか、事態は更に悪くなり、節子の努力は報われない。そんな中、太平洋戦争が勃発し、節子はいつまでも大森邸に置いて貰おうと心に決める。と、そこに親友のつや子から一本の電話がくるのだった・・・・

 

なぜか、男性陣に批判的な意見が目立った。女性が主人公だからか、為になると思えるところがない。社会情勢や当時の世相雰囲気が伝わらない。男は兵隊になり大変だったから、銃後の女の苦労はどうってことはない。等々

一方、女性陣には同情的な意見が多く、特に作品中にある織り姫の昔話、従順に家や夫に仕えたが、結局帰る家もなくなり途方に暮れる様に、当時の女性の弱い立場を思い知らされた、と言う意見が見られた。

家長制度の中の男尊女卑が女性を苦しめ、また、親の愛情不足に深く傷つく子供心に同情をよせる意見も多く出た。

健気な節子に理想の女性像を見る意見と、ショック療法としての家出は浅はかで空回りするだけ、それより自分が何をしたいのか、もっと前向きな生き方を考えた方が良かったのではないかと言う意見もあった。

他に、同僚に疎外されるなどの苦労に対して、自分の過去の行いからくる報いなどと自省する考え方は、天理教のそれである。

男尊女卑は、仏教伝来と共に入ってきた、アーリア種族の一夫多妻制の思想からきたものである。

聖書にある「心貧しい者」の意味とは。

作中、節子は熱心に聖書を読むが、そこから父への批判や良心的女中という考え方が生まれたのではないか。人物の思想がその人の読む書物からも察せられると思う。

節子にはモデルがあり、確かに他の者と違いその人には品があった。女中として扱うのは申し訳なく家族のように接し、後年、画家と幸せな家庭を持った。

この階級の女性が、行儀見習いで爵家に入るなら分かるが、女中をするなどとは考えられない。

等々、様々な意見が出た。

また、司会者作成の資料により、昭和15・16年の世相、パーマの高額なことや女中の薄給、酒や菓子の配給や割り当てなど、作中の世相がより具体的に年譜として理解できた。

 次回、節子の今後は、はたして人生の意義を見つけられるのか。また、両親や姉妹の動向、母親は節子の未来に何を望んだのか。女性の自立、家族愛、親子関係等、今に至る問題に鋭く切り込む「女の運命」次回後半、こうご期待!