『2003/7月 第312回 読書会の報告』

 7月20日 『「文芸手帖」263-311頁 2回目』の感想

『読書会での発言』

(1)「12月8日の日記」・「土地より他になし」で戦争について以下に内容が書かれている。
・「東洋人を本当に人間に生まれ変わらせるための聖戦」
・「一命を奉げても悔いのない戦争である」 この内容について2通りの解釈がありました。
@本心である。 戦争の渦の中にのみこまれている時の本心では?
A本心ではない。既に「巴里に死す」を発表している。作家としてこの時代にいきる為に書いたので?真実はわかりませんが、私としては、戦争の渦中で「アングロサクソン(英国)」に対して大変な嫌悪感を抱いていた先生の本音のようにも感じました。 しかし、昭和40年(戦後20年)に「人間の運命」に描かれている今回の戦争は、聖戦でなく、反戦(侵略)の立場で描かれているのではないでしょうか
・先生は20年経って、歴史として正しく後世に伝えたいのではないでしょうか?

 (皆様はどの様に読まれたのでしょうか?)

(2)「童心」
・この作品に対しても多くの感想がありました。
・現在,起きている少年・少女の犯罪についての発言。
・「命の貴さ」を言って解らせるのではなく、感じてさせて解らせる教育が必要では・・。
・相手を思いやる訓練が必要では・・。 
・子供の犯罪は、すべて大人の真似である。
・周りの大人が悪い。 
・周りに良い大人がたくさんいると子供は悪くならない。

(3)「男子の愛情」(個人的な感想)  

○フランスの小説の女主人公が、男性と女性との愛情の相違から、絶望して述べた「男は神の栄光のために造られ」「女は男の栄光のために造られた」の言葉から始まる。
・「栄光」=「使命」とは、「銘々の能力や運命に従って、自分の属する集団に、何かを加える。」 
@男性として
・一人の女性を愛し、その女性の人格を尊敬できないような男には、精神的な立派な仕事は期待できな。
A女性として
・男の栄光のためでなく、男と同じように神の栄光のために造られたことを確認しなければ意味がな。 しかし、男の栄光にもなれない女が、神の栄光となることなど不可能である。
・キュリー夫人のように生き甲斐のある自分の記念を残すことも女性の使命でもある。
○女性と男性の愛の違い
@女性の愛
・本能的に相手を自分の精神にも肉体にも吸収しようという焦慮を伴う。(相手を近くに感じていなければ安心できない)
しかし、女性がこのような本能的な不安を伴う愛情にとどまっている間は、キューリ夫人のように神の栄光のために造られた女性にはなれない。
A男性の愛
・相手の女性の心をのぞくことを忘れ、女性の愛情を本能的なものから救おうと手を差し伸べることを忘れれば,妻は永久に男性のために造られた人間の域を脱することはできないだろう。
・わが妻を、神の栄光の為に造られた人間いするように協力することこそ、新しい男性の愛情であろう。

△戦前の女性を「神の栄光のために造られた」女性にするために、「男性の新しい愛情」が必要であることを強く啓蒙している。 

○現在の「男性の愛情」「女性の愛情」とは? 
・女性の愛情を本能的なものから救うために手を差し伸べることは、今や必要はない。
・人間として,お互いに「神の栄光のために造られた」と認識するために、お互いに助け合うことが現在の愛ではないだろうか。 と感じさせる作品でした。

(まだまだ、たくさんの感想がありましたが割愛させていただきました。)

今回も、新しい方が4名参加され、楽しい文学に浸る時間を過ごすことができました。 8月も気楽に参加してください。 お待ちしています。

以上


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