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2011年07月 アーカイブ

2011年07月01日

芹沢文学愛読者短信 第185号

芹沢文学愛読者短信 第185号
2011年6月25日  芹沢文学愛読者の会
(芹沢文学春のバス旅行3/27は、大震災直後とあって、中止といたしました。)

「芹沢光治良を偲ぶ会」「芹沢光治良文学後援会」
  平成23年6月18日
沼津芹沢光治良文学愛好会発足一周年を記念して上記の二つの会が企画、実行されました。
 芹沢光治良を偲ぶ会 芹沢先生の墓前に献花(沼津市営墓地にて)

 当日は雨模様の天気でしたが、幸い雨は降らず、午前10時半から行われました。
 始めに和田安弘様(沼津芹沢文学愛好会代表)、岡玲子様(芹沢光治良 四女)のごあいさつがあり、その後、参列者お一人お一人が白いカーネーションを芹沢先生の墓前に献花しました。

 芹沢光治良文学後援会
 演題 『芹沢光治良が残したもの 没後18年』

 講師 桜美林大学 准教授  勝呂 奏 先生

 講演メモ
 芹沢文学はヒューマニズムの文学。人道的な考え方・人間であることを尊重した文学である。そして、芹沢自身、希望を失わない人でした。

 将来への希望を持っても、多くの人は、その希望がはたして、いつ叶えられるかどうか、わからないと、望んだことを捨ててしまいやすい。
 芹沢は捨てないで持ち続け、「待って信じていけばいいんだ」とした。

 芹沢は、作品をありのまま書いているのではない。(作品の主人公)=(芹沢自身)ではありません。『人間の運命』も『神シリーズ』も同じですこおのことは、太宰 治の作品についても言えます。

 『神の微笑み』は、不思議がたくさんある作品です。そのため「芹沢さんはおかしくなられたのでは」と思われがちです。 
 だが、作品は、乱れも狂いもない日本語で書かれています。客観的に客観的にと書かれています。
 言葉による表現は、その人が身に付けてきた「ことば」でしか表現できないものです。

 加寿子さんに会った
   後藤一男(豊橋市)

 一月の新年会の時、鈴木春雄さんから「人間の運命」森次郎が恋した、加寿子さんの写真が文学館に展示されていると聞いた。
 「会わずにおられようか・・・」と三月末日青春切符で沼津へ向かった。高場加寿子さん・・・安生 鞠さんの写真が四枚あった。
 大正十一年卒業、東京女子大の一期生とのことで六十余名と共に、卒業者写真が展示されていた。「東女の一期生だったのか・・朝ドラの(おひさま)の育子さんが合格しておれば、後輩だったのか」と思った。
 次郎宛の手紙があった。
 「略・・淋しくてイライラしながら絵を描いていた頃が急に懐かしくなって、少しばかり絵具をととのえてきました。夜遅く帰ったらあなたからのお葉書でした・・略・・なたにこれをお書きするだけで、どれだけ慰められるかもしれません」 水曜日 夜 あん
 熱烈な文面のハガキであった。ところが、宛名は「秋田市・・小川様方 芹沢光治良様」であった。何と 森次郎は加寿子さんに失恋し失意のうちに、秋田へ赴任したのではなかったの?新発見であった。
さて、私が会った安生鞠さんの印象は、長くなるので別の機会にしたいと思います。
 最後に、安生鞠さんにお会いしたい方は、毎月第二日曜日午後に、港図書館までお運び下さい。いつでも面会可能です。

 予告

①秋のバス旅行については次号の短信にてお知らせいたします。

②2012年新年会 2012年1月15日(日)と決まりました。会場は今年と同じ、 名古屋駅前の「ウインクあいち」です。

2011年07月02日

芹沢先生を偲ぶ会、講演会の報告 静岡新聞より

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芹沢光治良の人生観を学ぶ 沼津新聞より

勝呂桜美林準教授迎え公開講演会

沼津市出身の文学者、芹沢光治良(1896~1993年)の作品に親しむ沼津芹沢文学愛好会(和田安弘代表幹事)は、18日、「芹沢光治良の残したもの~没後18年」をテーマにした公開講演会を市立図書館で開いた。会員はじめ、県内外のファンら約170人が参加し、芹沢文学の研究者で桜美林大準教授の勝呂奏さんの講話を聞いた。
 勝呂さんは多くの芹沢作品からにじみ出る「明るさ」や「希望」を、芹沢の少年期やフランス留学時代の経験と照らし合わせて解説した。
 「強烈な西風で出漁できない冬の苦しみを何度も経験したからこそ、春が来る喜びをかみ締めた」と、沼津の自然環境が芹沢の人生観に与えた影響を挙げた。学資に窮した高校時代や、死病と言われた結核を克服したフランス時代のエピソードも紹介し、「あきらめずに進めばかなうことを何度も経験し、芹沢は希望を持ち続ける生き方を身に付けた。一端は作品にあらわれた」と述べた。
 沼津芹沢文学愛好会は昨年5月に結成し、約2ヶ月に1回のペースで読書会を開いてきた。会員は約30人。
 公開講演会の開催は今回が初めて。開演前に関係者が沼津市営墓地にある芹沢の墓に参り、数多くの作品を残した文豪に感謝の気持ちを伝え、冥福を祈った。

2011年07月03日

大分の読書会からお知らせです。

芹沢文学読書会
案内通信 No90 
2011年6月24日

6月便り一細々と続けしものぞ  読書会  一
 梅雨の雨が降り続いていますが、生物にとっては「恵みの雨」と自覚して耐える他はありませんね。お元気にお過ごしのことと思います。No.90の会報を届けます。
 東日本大震災から3ヶ月、地震や津波の復旧・復興が中々進んでいないようで、しかも福島原発の東電の対応がもたつき、未だに収束していません。放射能の被爆が大きな問題です。この大震災を期して、エネルギー政策を大転換して、脱原発から再生可能で安全な自然力活用への道を日本が先導していってもらいたと思います。ドイツやスイス、そしてイタリアが脱原発を開始してしています。菅政権が追い詰められていますが、「脱原発」へと舵を切ったことは、大きな実績です。復興のための資金や年金福祉の財源として、消費税を10%に引き上げるのもやむおえないと思います。私達は「芹沢文学」に夢と希望を見出していきたいものと思っています。
前回は、短編小説「写真」を読み語りました。戦中の作で、重いものではありませんが、若い女性たちの生きざまを学びました。これで、『芹沢光治良文学館9
短篇集 明日を逐うて』を全て読了したことになります。今回は、随筆(巴里便り〉を四篤を読みたいと思います。新潮社版『芹沢光治良文学館11』は、注文すれば入手出来ると思います。このエッセイ集もコツコツと読んでいきたいと思います。
どうぞ、都合をつけまして、読書会へお出掛け下さい。新入会員も歓迎します。

  第90回・芹沢文学読書会
①日時;7月 1 0日(日)   奇数月の第2日曜日が原則〕
②会場;大分県立図書館研修室No4 10 :00~12:00AM
  ③内容;(1)芹沢光治良先生のお話(カセットテープ) 10:00 ~10:20
   平成3(1991)年1月27日の芹沢文学愛好会の月例会での講話の終わりを聴きま   す。このテープは丁度20年前のものです。先生の最晩年のもの。
(2)芹沢文学読書会 10:20 ~12:00 担当・司会小串信正
    テキスト;随筆(巴里便り)「一 エトランジェ、異邦人」「二 コンパトリオ    ット、同胞」「三 或る画家」「四 三木清君」
    初出;パリ留学中に書いた便りを「巴里便り」として収録したもの。
    初刊,『文事手帳』昭和18年4月30日に同文社から発行に収録された。
    再録; 『芹沢光治良文学館11エッセイ文学と人生』
    平成9年6月10日新潮社発行。211 ~ 219頁に再録された。
    部分的には読みますが、予め読める方は通して読んで来て下さい。
    =次回は、奇数月の第2日曜日の9月11日(日)の予定です。=

 同封資料;①書評『愛と死の陰に』の若子亡夫への愛ーすじに」筆者不明。昭和31年11月14日朝日新聞夕刊~ r本の中に生きる女たち」 0芹沢光治良著『愛と死の陰に』が昭和31年11月1日に光文社から出版されましたが、その書評です。原コピ「不良。戦前の長編小説『愛と死の書』の続編で合本したものです。この機会に一読を勧めます。 ②『女の都・パリ』(新創社〉のカバー。難波淳郎氏の装幀。


芹沢文学大分友の会 ふじ
会報 No89
 2011(平成23)年4月24日
文責 小串 信正

 第89回・芹沢文学読書会の報告
 第89回の「芹沢文学読書会」を5月15日(日〉の午前10時から県立図書館の研修室No.4で開きました。芹沢光治良先生の講演録音テープは、平成3年1月17日の芹沢文学愛好会での芹沢光治良先生の講話の続きを聴きました。天の将軍に導かれて、大自然の神の大掃除のこと。イラク戦争とフセイン大統領のことなど。現在のイスラム革命のこと、リビアのカダフィ大佐のことなどが話題になりました。また、東日本大震災や福島原発のことなどについても、大いに語りました。熊埜御堂さんが、久しぶりに参加してくれました。御無沙汰の方も、どうぞ気楽にお出掛け下さい。
 読書会では、短編小説「写真」を読み語りました。この作品の初出は不明ですが、短編集『春の記録』(昭和17年8月l日全国書房発行〉に収録されて刊行されました。女子高等師範学校の同級生のやす子と順子は、寄宿舎で同室となり親友になりました。
卒業して女学校の教師になってからも共同生活をしでました。先輩の草間文子の夫春岡は、やす子や順子とも交際がありました。文子が娘百合子を残して早世しましたが、27歳になっていたやす子は春岡から再婚として求婚されました。結婚を順子に打ち明けると、共同生活は破綻し、結婚式にも参加してくれませんでした。そして順子は沼津の女学校に転勤したので、交流もなくなっていました。やす子は、実家の岡山からの帰路に沼津の山田順子を訪ねて和解しました。帰宅すると、百合子がやす子の写真を枕の下に入れて寝ていることを知り、涙が溢れて感激したという話です。深刻なテーマではなく、家庭小説ですが、戦時下のものとして愛すべき作品と言えましょう。これで『芹沢光治良文学館9](短篇集)を全てテキストとして読み上げたこと
になります。今回で読書会も90回目となりましたが、良く続いていると思います。
次回は、作家になる前の随筆(巴里便り〉を四通、読み語りたいと思います。隔月の読書会ですので、予め予定に入れて御参加していただきたいと思います。
<芹沢文学案内No.50>短編小説集『女の都・パリ』新創社  242頁
 昭和34年6月10日に、パリと関係のある短編小説を一冊にして新創社から出版したものo 「Paris, La Ville des Femmes. 」とフランス語の題も付けられています。
 巻頭写真(パリ凱旋門の前で文春池島氏と)、短編小説「女の都」・「パリの空の下で」・「二重国籍者」・「ロジェの手紙」・「運命」が収録されています。「あとがき」には、「戦後短篤小説をたくさん発表した。その多くは、日誌や随想、の代りに書いたもので、その当時の私の心を宿している。そのうちの幾篤か、パリの香りをとどめているものを、新創社の田沢君が、選んで、一本にまとめられた。運命は長篇の書き出しのつもりであったが、その後十年徒らにすぎた。短篇小説の形をなしているし、散逸することを怖れて、この集に入れることにした。死ぬまでに長篤として完成したい。一九五九年五月末芹沢光治良」と書かれています。『女の都』はパリの日本料理店のアイダ夫人やシイナさんのこと、のちに『巴里夫人』に発展。「パリの空の下で」は「一、再び『ブルジョア』の日に」 「二、眠られぬ夜」 「三、パリの空の下で」で構成されています。「二重国籍者」も新太郎のパリでの体験談。「ロジェの手紙」は、パリ留学の時に下宿したドモリエール夫人の息子ロジェからの手紙でかつてのパリ生活の回想です。「運命」は、幼少のころの作品「小さい運命」などとは違い、パリ留学時代の回想で、外務次官であった伊礼君への便りとして創作されたもの。パリに夫妻で留学して妊娠し、堕胎をした生々しい体験が描かれています。「死ぬまでに長篤として完成したしたい」と言っていた長編小説は書かれていないようです。
 この短編小説集は、難被淳郎氏のお酒落な装柏で、カバーをとると、まるでフランス語訳の本に見えます。古書店で、見つけることも難しく、図書館で探して読むしか出来ませんが、愛すべき単行本のーっと言えましょう。一読をお勧めします。

2011年07月04日

芹沢光治良とパリ展

 芹沢光治良氏のパリ留学中の新しい発券があるかもしれません。
名古屋の後藤氏が、秋田での芹沢光治良でのあの発見のように。

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2011年07月05日

沼津朝日新聞より 2011年(平成23年)6月22日

芹沢光治良偲び作品に迫る
愛好会が偲ぶ会と後援会

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沼津芹沢文学愛好会(和田安弘代表)は一八日、「芹沢光治良を偲ぶ会」と「芹沢光治良文学講演会」を相次いで開いた。 
偲ぶ会では、同愛好会を含む各地の愛好会の会員ら約四十人が参列し、香貫市営墓地にある芹沢家墓所にカーネーションを献花。芹沢次女の野沢朝子さんや、四女の岡玲子さんも駆けつけた。
 偲ぶ会は以前「芹沢・井上文学館友の会」が芹沢の命日がある三月に開いていたが、芹沢文学館が市に移管され芹沢光治良記念館として再出発したのに伴い、一時中断されていた。今年同愛好会により再興されることになったものの、東日本大震災の影響で延期となっていた。
 講演会は市立図書館四階の視聴覚ホールで開かれ、約百六十人が聴講した。
 はじめに和田代表が挨拶。芹沢文学愛好会は全国に六つあり、沼津の会は、その中で最も若いと説明した後。芹沢の出身地である沼津の地で芹沢文学への関心を高めていく事への期待を述べた。
 その後、来賓が挨拶し、市教委文化振興課の宮下吉岡町は、同記念館で十一日に始まった企画展に、同愛好会と芹沢家から多大な協力があった事への感謝を述べると共に、自身の友人にも芹沢作品を読むよう勧めたことなどを話した。
 続いて岡さんが挨拶。岡さんは、父の思い出として「『平等』という信念が強かった。だから私達四人姉妹に分け隔てなく接し、名前に『さん』をつけて皆を呼んだ。疎開中、家族六人で暮らしたが、父は一個のリンゴを正確に六等分するような人だった。その平等感には今も尊敬と感謝の念を抱いている」と回想した。
 また、同記念館で展示されている長女麻里子宛の絵はがきについても「ハガキから読み取れる父から麻里子さんへの思いは、残り三人の姉妹にとっても、等しく受け取られるもの」と話した。 
 講演会では、桜美林大学の勝呂奏(すぐろ・すすむ)准教授が「芹沢光治良の残したものー没後十八年」と題して話した。
 勝呂さんは、はじめにインターネット上の百科事典であるウィキペディアの「芹沢光治良」の項の記述を紹介し、一般的に芹沢がどのように理解されているかを説明。その上で、同記述には芹沢文学の重要な要素である「希望」について触れられていない、と指摘し、芹沢文学と「希望」の関わりについて話した。
 勝呂さんは、芹沢の幼少期の体験が「希望」の原点であると語り、荒天続きで不漁である冬季の辛く厳しい日々を堪え忍び続ければ、その後必ず春が来て喜びの時期が到来するという経験を何度も味わったことが芹沢の「希望」観を形作ったと話した。
 また、芹沢が貧しい中で、あれこれ手を尽くして学費を工面したことなどにもふれ、それが「絶望しない人は、いつかきっと願いがかなう」という人生観を生み、読者の共感をを得てきた、と説明した。
 続いて勝呂さんは、芹沢文学における「神」の存在に言及。初期の作品では芹沢は「神」を意識することがなく、作家対読者という構図で執筆を続けたが、後期の作品では「神」の存在を意識し始め、作家は「神」と読者を仲介する立場、という見方に立つようになった、と解説。
 そうした見方を端的に表すものとして、芹沢光治良全集の内容見本に記載された「文学とは、神の無言の要求に一つの言葉を与えることだと、そう信じて、私も仕事をしている」という文章を挙げた。
 また、勝呂さんは芹沢にとっての「神」とは何かについて触れ、芹沢の作品『文学者の運命』の中から、「自然を超越した巨大な力」「道徳的存在」といった語句を示したほか、「神」の意思とは、庶民が圧迫から解放され自由になること、病気や因習から解放されて幸福を得ること、であると説明した。
 このほか、勝呂さんは、芹沢がこうした人間の幸福について「陽気暮らし」という天理教の用語を使っていることも話し、芹沢が日本人作家としては珍しく「神」を意識した背景には、芹沢本人が特定の信仰を持たなかった一方で、芹沢家が天理教を通して宗教と密接なつながりがあった点を改めて指摘した。

2011年07月07日

文芸講演会・芹沢光治良先生・生誕115周年記念

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 芹沢光治良文学愛好会は、芹沢光治良先生生誕115周年記念の文芸講演会を下記の予定で開催します。

 演題 「芹沢光治良先生の活きた時代と自分史」

     上越教育大学 名誉教授 二谷 貞夫(ニタニ サダオ)

     平成23年8月27日(土)14:30~16:30
   
     会場 グランドヒル市ヶ谷 3F(真珠)

     入場無料 

     ※愛好会会員(1,000円)

     主催 芹沢光治良文学愛好会


 1956(昭和31)年7月号の「若人」(学澄社)という雑誌に二人の高校生が、直接芹沢光治良と面会し、お話を聞いているという特集を組んでいます。
 
 教育大学付属高校3年 二谷貞夫氏 と 都立戸山高校3年 弥原静江さんです。

 高校生の時、当時の人気作家であった芹沢光治良氏と直接お話をした高校生。

 なんか、うらやましいですね。

 二谷貞夫氏が、この日いらっしゃって講演会をしていただけます。楽しみです。


 「若人」での芹沢光治良氏の紹介です。

 芹沢光治良先生は、明治30年生まれ(実際は29年生まれです。宮沢賢治と同年です。管理人注)。一高、東大経済学部を卒業。農林事務官になられました。略(当日のテキストでお読み下さい)
 帰朝後作家として立たれ、知性と甘い抒情の溢れたそのフランス風スタイル(下線管理人芹沢文学について書かれています。確かに、この指摘は、最もですが、芹沢光治良氏の文学には希望という要素も入ると思います)は、多くの愛読者を持ち 「愛と死の書」「命ある日」「男の生涯」「巴里に死す」は代表作です。

 略

 世田谷三宿のお宅に伺っての高校生によるインタビューです。なかなかしっりとした内容です。

 高校生2人が、どのように芹沢文学を感じた二谷先生のお話楽しみです。

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