« 2月のマグノリアからのお知らせです。 | メイン | 2010年3月のマグノリアのお知らせ »

幸福記を読んで思った事

 先月のテキストでは、「幸福記」でした。これは、美術家の家庭が描かれていました。
芹沢先生と美術との出会いについて簡単にここに触れておきます。
 
 芹沢先生と美術の出会いで大きな働きをしたのは、沼津中学校時代の美術教師前田千寸先生です。上野の美術学校を出たばかりの先生です。
 先生は、絵は写生からはじまると言って、それまでのお手本の絵を描くと言うことをやめて、教室でデッサンをさせたそうです。
 
 前田先生は日曜日には必ず写生に出ます。その時同行を許したそうです。芹沢先生の中学時代は、美術(当時は図画といっていましたが)は、2年生で終わるのに芹沢先生は、卒業するまで、前田先生の写生旅行のお供をしていました。
 日曜日の写生旅行が終わると、自宅のアトリエを開放して夕食をご馳走したあと、批評会をしたそうです。この時、多くの珍しい画集や文学雑誌を見せてくれたそうです。
 前田先生は、フランスの印象派以後の絵画を敬愛し、自宅にはフランス絵画集があり、フランス絵画だけばかりでなく、フランス文化について熱心に説きました。
 
 芹沢先生は、フランス留学したときは、勉強の余暇にフランス美術を十分鑑賞することで精神を豊かにすることが出来たそうです。この点で前田先生は恩人だとはっきり言いきっています。
 先生は、帰朝する直前、肺結核で倒れたとき、2年近くスイスやフランスの高原で療養しました。この時、10数年ぶりに写生帖を手にして写生をしていたそうです。
 
 日本に帰ってからは、どうだったのでしょうか。

 日本の社会には、素人がスケッチするような雰囲気がなかったと書いております。そしてまもなく日華事変が起き、文学も絵画もなく、飢餓と疲労のうちにただ生き延びようと焦慮する朝夕になっていくのです。
 
 

 そして芹沢先生は、敗戦後の1951年の晩春にスイスのローザンヌの国際会議に行きました。芹沢先生はこの当時、1日10ドルで3週間分の外貨しか持ち出せなかったおり、スイスからフランスに行き、3ヶ月滞在しました。
 芹沢先生は、パリに着いたとたん忘れていた重大ごとを思い出したように写生をしたくなりました。当時のパリは日本人が10人くらいしかいなくて互いに親しくなり、毎晩モンパルナス裏の一膳飯屋に集まって夕食をしたが、その中に関口画伯がいたそうです。
この画伯はいったい誰でしょうか?

 この頃フランスに行った関口という名前の画伯は、二人います。関口雄揮氏と関口俊吾氏です。

 関口雄揮画伯で札幌に個人美術館があります。所在地:札幌市南区常盤3条1丁目(芸術の森入口) ・TEL/FAX:011-593-5050ですが、この関口画伯は、1952年戦後初の文部省給費留学生として渡仏してアカデミー・ランソンに入学しています。従って、雄輝氏ではありません。
 
 俊吾氏はどうでしょうか?
 
 俊吾氏は戦後間もない一九五一年、四十歳に再びフランスに向かう。敗戦からわずか六年後、戦後の渡仏者の内画家としては萩須高徳、藤田嗣治についで三人目であったという。この時はまだ日本はアメリカの占領下であった。 従って一月二十七日発行のパスポートには 「関口俊吾は美術研究のためフランスに行く目的で(中略)連合国最高司令官によって許可された日本国民である」と記されている。パスポートは日本政府の発行したものではありませんでした。芹沢先生のと同じですね。
 
 関口俊吾氏が、関口画伯ではないかと思います。巴里に滞在しているときは、この関口氏と深く親交するのです。
 
 芹沢先生は、関口氏に頼んで、写生道具を用意してもらいました。関口画伯はとても喜んでくれて、とんでもないところに案内してくれました。

 そこは、モンパルナスで日本の画学生が必ず行くというグランド・シャミエールに連れて行かれたそうです。老守衛に50フラン握らせて入りました。
 その場所は、ひとりのモデルをかこんで、3,40人の男女画学生が熱心にデッサンをしていました。
 芹沢先生も関口画伯から離れて、出口に近い席で、カルトンをひろげて、もっともらしく勉強を始めたが、裸体を描くのは初めてなので途方にくれました(だから、とんでもないところに案内されたのですね)。

 モデルを前に途方に暮れている芹沢先生のイメージは私には、わきません。どうだったのでしょうか?
 
 どういうモデルかというと、そのモデルは若くて、つややかな肌をしていて、均整のとれた美しいパリ女であったから、目がくらみ手が動かなかったそうです。


 ところが20分もすると、モデルの休憩時間になり、

そのモデルが芹沢先生のところにずかずかと歩みより、芹沢先生を睨みつけたそうです。
 
 「ムッシュは私のはだかを見に来たの?私は見せ物ではないからね」


 「勉強に来たが、君があまりにも美しいので、その美をどうやって表現するか迷って・・・」と答えると芹沢先生のカルトンをのぞき込み、ポーズの素描のあるのを見て、「ボン」(英語でグッドという意味ですね。芹沢先生のデッサンの力は恐るべしですね)というなり席へ帰りました。

 この日は関口画伯と一緒に一時間デッサンをしたそうです。

 芹沢先生は素人が好奇心から裸体を観察することは、モデルを侮辱するようで、その後誘われても二度と行かなかったそうです。

 (この稿続きます)


 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://serizawabungakuaikoukai.jp/bin/mt-tb.cgi/242

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2010年02月13日 20:12に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「2月のマグノリアからのお知らせです。」です。

次の投稿は「2010年3月のマグノリアのお知らせ」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。