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芹沢光治良文学愛好会 月例会6月

 今日は、午前中東京は大雨でした。風が全くない中での大雨の音が雨粒の重さに聞こえてくるようで、自然の強さを感じました。

 それでも、会場に着く頃は、小雨になり、5分遅れでつきました。(雨が降ると、駅に繋がる道は渋滞になるのです)

 今日は、司会者田村さんから、各参加者からお話がありました。

  同伴者作家について

 芹沢光治良を文学史的に見ると、同伴者作家と位置づけられている。同伴者作家という意味は、 何か不徹底な態度を避難する響きがないわけでもない(評伝芹沢光治良P123)と書かれているように、今の時代から言えば、頭では理解、 共感するが、どうしても行動を伴うことが出来ない、根性がないととらえていた。
 しかし、宮本顕治はプロレタリアートに理解と共感を持って同伴しようとする知識人の精神的苦悩だと定義をし、川端康成は宮本を受けて 「自由主義作品の一例」として芹沢光治良の三部作「橋の手前」「椅子を探す」「昼寝する夫」を上げている。
 この文学界の流れを勝呂先生が指摘してくれて、改めて「同伴者作家」について教えられた。同伴者作家という事は、やっと橋まで来て、 後は思い切って橋を渡る事が出来ないという事ではなく、杉山平助が昭和9年に書評した頃は、 むしろ自由主義作品の一例として取り上げられており、認識を新たにした。
 勝呂氏のこの本は、私達が知っている言葉が例えば「同伴者作家」でも、私の思い過ごしを改めてくれているところがあります。

 勝呂氏が新しく定義つけた「同伴者作家」と杉山平助氏の「同伴者作家」について、読者の方からいろいろな捉え方がありました。 同伴という言葉が様々にとれるためいろいろな意見が出たのでしょう。

 

 楽しい一日でした。

 

 

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2009年06月21日 19:15に投稿されたエントリーのページです。

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