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芹沢光治良と関わった人達 橋爪健

 芹沢先生は、沼津中学校時代に同人誌を作っていた。同人の一人に橋爪健(1900. 2.20(明治33)
~1964. 8.20(昭和39))がいた。沼中、東高を通じて歌い継がれる校歌の作詞者としても知られる。 卒業後に進んだ一高、 東大法科でも詩作にふける。大正十一年に初の詩集「合掌の春」を出し、詩人として知られるようになった。昭和二年、自ら創刊した「文芸公論」 で新感覚派の詩人らの作品を取り上げたほか、橋爪自身も小説、評論を書いた。菊池寛を批判したことがきっかけで、 文壇から遠ざけられた逸話が残る。

 「文藝公論」について説明すると、昭和二年一月から三年五月にかけて発行た。当時新進の詩人・ 評論家として活躍していた橋爪健がほとんど独力で編集・発行した総合文芸誌で、既成文壇打倒の旗印のもと、 新感覚派からプロレタリア文学にいたるまでの各派の新人を糾合して、創作・評論はもとより、合評会、アンケート、漫画、海外・ 地方文壇の紹介など様々な新機軸を駆使し、精彩に富む誌面をつくって注目をあつめた。例えば、創刊号一冊を取り上げても、松永延造、 葉山嘉樹、稲垣足穂、橋爪健、十一谷義三郎の創作、千葉亀雄、久野豊彦、林房雄らの評論、尾崎士郎、今東光、片岡鉄兵、 稲垣足穂らによる合評会、編集者・文芸家の興味深いアンケートなど、 時代の転換期を迎えて新しい文学をひたすら求めて模索する若々しい熱気が生き生きと伝わってくる。 このように昭和初年代の文学状況をたどる上で逸することのできない雑誌である。  

 芹沢光治良先生よりは、早く文壇に登場した橋爪氏。例えば、南天堂という本郷白山上にあった1階は書店、 二階はカフェーレストラン(大正6年開業)。集いし客は、大杉栄、近藤憲二、和田久太郎。労働運動社、北風会の闘士。岡本潤、萩原恭次郎、 壷井繁治、小野十三郎ら詩誌『赤と黒』同人。辻潤、宮嶋資夫、中西悟堂、今東光、村山知義、橋爪健、高見順、秋山清、きだみのる、菊田一夫。 池山薫子、友谷静枝、林芙美子、平林たい子……。そこは、夜毎アナキスト・ダダ詩人らが喧騒する酒場であり、 時に前衛美術家の展覧会場となり、また<近代名著文庫>や文芸誌『ダムダム』を発行する出版部があり  「南天堂時代」と呼ばれる、 伝説の階上喫茶店で、それこそ文壇らしい(?)生活をしていたようだ。

 ところで、校歌の話しに戻りますが、橋爪が校歌を作詞したのは一高在学中の大正九年。橋爪は「香陵」六十周年記念号に寄せた一文 「校歌の思い出」で、教員前田千寸から作詞の依頼を受けたことを明かす。同年に「春甦るときのために」と題した一高の寮歌を作った橋爪は、 「寮歌を作るコツで一生懸命書き上げた」一方で、「できるだけ柔らかな抒情味を加えるようにしたつもり」 と中学にふさわしい歌づくりに心砕いたことを述懐する。

代表作

『詩集第一集』1921//
『合掌の春(小曲集)』1922/教文書院/200p/13cm
『午前の愛撫』1922/九十九書房/237p/19cm函

 

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2009年05月20日 06:20に投稿されたエントリーのページです。

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