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2月11日マグノリアに行きました。

 2月11日(水曜日、祭日)  午後2時
  語り手  石崎真之    聞き手  岡玲子
  「伯父芹沢光治良に教えられた人生」

 石崎氏のお話を聞きに、マグノリアに行ってきました。天気予報では、雨と言われていましたが、無事雨も降ることなく、 マグノリアに入り、無事帰宅することが出来ました。 岡 玲子さんが、2月の案内に書かれていたように、
  父には何人か息子のように感じていた青年がいたようですが、真之さんは、その1人でいらしたと思います。

  と書かれていました。どのような人かと思い、興味深くお話を聞きに行きました。

 終始和やかな雰囲気の中で、聞いている私がつい表情を崩して笑みを浮かべてしまうお話のおもしろさにあっというまに、 時間が過ぎ去っていきました。

 石崎真之氏は、東中野の自宅には、なんと50年ぶりに来られたそうです。久しぶりの東京ということで、新宿などを見学されて、 14時少し前にマグノリアにつきました。

 真之氏は、三宿から東中野への引っ越しでは、男手として呼び出されご活躍しました。学生時代は、 このマグノリアからほど近い上落合に住んでいて、そこから通学され、毎日東中野のこの家を通っていました。
 真之氏の事を芹沢氏は、「マーちゃん」と呼んでいたそうです。大学入試では、芹沢先生から、励ましの手紙が届いたそうです。その内容は、 ここでは書けません。芹沢光治良先生は、紳士でおとなしく、私達若者に対して対等に接してくれたそうです。
 
 ブラジル移住
 真之様が大学を卒業して、本部勤めをしている時に、石崎様の父親が、 会長を引退して現役を退いていた55~56才でブラジルに農業移住して、布教活動をする事を決心したそうです。
 昭和35年12月4日横浜から出港しました。雨が降ってる中、芹沢先生も横浜まで駆けつけて、 両腕をくんでじっと真之様達をじっと眺めていたそうです。(このシーンを小説に考えていると思ったと真之様はお話になり、 一同暖かい笑いが起きました)
 後に巴里に留学している玲子さんに宛にこの日のことを書いた手紙が届いています。
 1960年11月8日 館山の石崎邸を訪問。・・・今回の布教に対してその信仰の心を評価していること。 12月4日 さみしい雨が降っている。船は静かにゆっくりと離れていく。石崎さんと・・・・・は、たいしたものだ。・・・・
 特に12月4日の手紙は、岡さんの朗読で小説の一シーンのようで、メモするのも忘れて聞き惚れてしまいました。
 
 ブラジルに着くと、タンガラーという農業植民の場所で1年半農業作業をして、それから農場を買ったそうです。しかし、 せっかく作った農作物も収穫前に霜にやられたりして、ご苦労されて、その農場を手放され、農業組合で働いたそうです。 全く無収入から始めて今日まで来ました。信者を増やし、教会もいくつも出来たそうです。
 ブラジルの言語はポルトガル語です。言葉が違うのは、習慣、文化が違うのは当たり前でありますが、 真之様が20数年得て考えてきた事を表現しよとすることが、特に布教活動では、大変だったと思います。大きな誤解、偏見をまず正すのは、 言葉ですから。
  
 「教祖様」を読んでいる私には、それはまさしく、親様が手元にある田畑を売り払い、無所有の生活を送っていた事を思いだし、 同じ事を真之様は、実行されていたのだと思いました。
 さぞかし異国の地での言葉の問題やなれない農作業、仕事と布教で、おそらくそれは苦渋に満ちた生活場面もあったと思い、 思わず背筋を伸ばしてしまいました。

 しかし、真之様のお話はその苦労した話しでなく、 真之様の人柄である明るい雰囲気で聞いている私達がほほえんでしまう講演が続きました。

 もしかしたらこれが、「教祖様」で私が知った陽気暮らしではないのだろうか? 半世紀ぶりに東中野に来られた石崎真之氏は陽気暮らしを実践されているのだと思ってしまいました。

 ブラジルの生活に礎を築いていた石崎様は、日本に帰る6年前に、本部から今度は、コロンビアに行くように言われたそうです。 いろいろ考えたと思いますが、60代になっての環境の激変は、外から見ている私は振り出しに戻ったようなものだと思いました。
 コロンビアという国は、私の知識では治安が悪い、スリや置き引き、殺人よりは、 テロリズムが多く身代金と誘拐がある国というイメージがありました。そして、言語もポルトガル語ではなく、スペイン語です。 イベリア半島にある国ですが、真之様が話されるように朝起きて勉強してもすぐ忘れてしまうということです。
 コロンビアでは、天理高校を卒業した若者17名が昭和32年12月2日に移住して、 役目を終えてもその時の方が5名ほど今も活動しているそうです。日本人社会に根を降ろし、日本人のために奮闘しているようです。
 
 中南米の人達はおおらかで、またブラジルでは病気から天理教に入る人が多かったが、コロンビアの方は、 日本人が好きだからという人が多いそうです。
 コロンビアでは特に日本人の方も少なく、相当な苦労だと思いますが、その苦労を感じさせないで、布教活動をされていました。
 「天理教と芹沢光治良の関係」は、なかなか理解することが大変だと思いますが、今回の講演で、考えさせることがありました。
  それは、コロンビアの方で、養鶏業を営むK氏という人がいました。この方は、 神様の話をしない人で周りの人から社会主義者だと言われいました。ところが、真之様から芹沢光治良の「教祖様」を一晩で読み、 信者になったそうです。改訂版ではなく初版の「教祖様」でなおさら、K氏の心に訴えかけてきたそうです。日本にも3回きて「別席」 というものを受けたそうです。
 芹沢光治良先生は、長い生涯ずっと天理教について書いていますが、それだけ天理教について考えていたと話されていました。
 信者である真之様に対して、芹沢光治良は、天理教の批判をしなかったそうです。
 ということは、「長く批判していても、天理教の考え方に対して、信者以上に考えていた」という事が真之様のお話が印象的でした。

 楽しい講演でした。仕事があったので、16時半には、会場を後にしました。帰りの電車では、目をつぶりゆっくりと反芻していました。

  石崎真之様、ありがとうございました。

 「死の扉の前で」に石崎真之様を描写したところがあります。

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2009年02月12日 19:02に投稿されたエントリーのページです。

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