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2008年6月のマグノリアの報告

 梅雨で蒸し暑い日と言うよりは、涼しい日が続いています。皆様、お元気ですか?

本日から部活は試験一週間前で部活動は休みでありますが、部員達が、 吹奏楽では全国的に有名な高校で開催される講習会に参加したいということで、引率する。 その講習の間にその高校の近くの中学校にマーチングで使う楽器を2台借用する。また、高校に戻り、講習を聴講。学校に戻り、楽器を収納し、 試験問題作成、そして、自宅に帰り、6月のマグノリアの報告をまとめる。そのうち時間がないことに気がつき、 途中までの報告をします。

 

 マグノリアでは、岡氏から神谷先生のマグノリア招聘のお話から始まりました。昨年.12月に芹沢光治良氏の奥さんの母親のお墓参りに岡氏が父の愛読者である丹羽さんといっしょに名古屋へ行きました。 その時に、神谷光信著 『須賀敦子と9人のレリギオ―― カトリシズムと昭和の精神史』 を丹羽さんから紹介されて読んで深く感銘し、マグノリアへの招待してくれたそうです。

 芹沢光治良を好きな愛読者として9人のレリギオ (敬虔さ)に芹沢光治良を選ばれたことは、嬉しく、 自分なりにとらえている芹沢光治良の生き方からは取り上げられることは充分納得できるものだと思いました。

 レリギオとは敬虔さという意味ですが、それはやはりから想像できるのは、作家(エクリバン)としての芹沢先生の生涯ではないでしょうか。 芹沢先生が作家(エクリバン)の姿勢がレリギオにつながったのではないでしょうか?

 島崎藤村が芹沢先生に語った言葉は「文明国の知識人、とりわけ作家は、その国の政治情勢がどう変わろうとも人類の平和を求め、 理想の実現に努めなければならない」である。中央大学教授大野一道氏によれば地上的一時的政治的 (広い意味での)しがらみを脱して、より高い(あるいは深い)次元で全体的調和
(すなわち平和)を見すえて生きようとしたということだろう。それはまた藤村が言う意味での「人類の平和を求める」ということでもあろう。

 さらに大野氏は「それは普遍という美名の下で抽象の中に埋没することではなかった。いまここにある自己を見失い、 根無し草になってしまうことではなかった。私心を去るとは、自己を失うことでは断じてない。自己の民衆性や土着性を背負いながら、 真の全体性(普遍性)と一体化して生きることにほかなるまい」とまで言い切っている。

 芹沢氏の文学は、孤高なものであるが、多くの人から受け入れられる原因を大野氏は私達に気づかせてくれる。 自己の民衆性や土着性を背負うということは、芸術はエリートだけのものではなく、抽象の世界に埋没するものでもない。 そもそも芹沢氏の芸術に対しての見方を端的に示してくれている。

 マグノリアの報告ではなく、芹沢文学論みたいになってきました。しかしこれは、神谷氏の講演を聴いて私がもった感想です。神谷氏は、 高田博厚氏と比べた内容の講演を進めますが、作家と彫刻家の違いますが同じ芸術家としてレリギオとして取り上げながらも、芸術の見方は、 まったく相反するもので、興味深い内容でした。今回の報告は、高田しとの比較前の部分までです。

 

 なるべく客観的に講演の報告をしたいと思います。

 

 いよいよ講演が始まりました。神谷先生の母君は静岡県の土肥出身で『人間の運命』の愛読者で、神谷先生も気になる作家だそうです。 関東大学のキリスト教文化研究所の客員研究員で、中学、高校から近代文学特に遠藤周作、小川国生、 高橋なお子のカトリック作家に何かひかれるものを感じて、よく読んでいた。学生時代は小川 国夫を紹介していただいた。学生時代は小川国生に傾倒し、詩人では鷲巣繁男に惚れこんでいて饗庭孝男 あえば たかお)、 この方はクリスチャンではありませんが、たいへんカトリックの精神を持っていらっしゃる方です。至文堂からこの8月に遠藤周作氏の別冊の総特集を出すということで、『新約聖書と遠藤周作』 ということで書かれるそうです。

 ところで、神谷先生は、勝呂先生とは、小川国生つながりで面識があるそうです。また『死者との対話』で和田稔が出てきますが、 その弟さんの慶応大学英米文学教授(現在名誉教授)の和田先生と同人誌『同時代』ご一緒しています。

 神谷氏が、 どういう基準で9人選んだのか、 興味を持ちます。

神谷氏は、「カトリックに縁のあった人として10人選びました。 必ずしも洗礼を受けた人ではなく、何かしらの点で、 カトリック教会と接点のあった人である10人を取り上げています」

  近代の日本とキリスト教のかかわり方はおもしろいものですが、内村鑑三さんとかいろいろな方が

 書いて本も出ていますが、カトリックの方はわりと地味で研究がおこなわれていません。そんなことも

 あってこういう本を書いた次第です。

  今日のテーマも「芹沢光治良とカトリシズム」としましたが、カトリシズムといのは西洋、ヨーロッパ 

 と置き換えてもいいのですが、やはりこの世代の方、明治の終わりから昭和の始めの方は、西洋と言え

 ば、ヨーロッパでアメリカではなかった。ヨーロッパ体験、カトリックの体験がひとごとではない関心が

 私にはあります。 

  私がこの本を書いていて面白いと思ったことは、芹沢さんと高田博厚、彫刻家の方で文章が大変上手な

 方で、世代的にはほぼ同じで、芹沢先生が4つ年上ですが世代的にはほぼ同じでパリ留学は芹沢先生の方

 が少し早い。この二人は似たところもあり、違ったところもあり、面白かったです。芹沢先生は、両親が

 熱心な天理教の教徒であるから、小さい時から神様について考えていた。高田氏もお母さんが熱心なプロ

 テスタントの信者さんで、高田さんも12歳で洗礼を受ける。 キリスト教の神について考えています。

 

短くすいません。本日は、月例会です。 今からテキストを読みます。お休みなさい。

  

 

 

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