芹沢光治良とカトリックの具体的な関わりは、
芹沢光治良の長女が1927年1月に生まれる。そしてカトリックの受洗を受ける。 ソルボンヌ大学での恩師シミアン教授が娘の教父に、ラバスール君の母堂が教父になります。
ただ、この時は芹沢氏は「我が宗教-『幸福への招待』でこの様に書いています。
無信仰になってからヨーロッパで数年暮らした。その間に、私はカトリック教を知った。 それはヨーロッパとの文化と生活に及ぼしているキリスト教の影響に驚いて、キリスト教を知ろうと努力したからでもあるが、 フランスで親しくした人々の多くが、カトリックの熱心な信者だったからにもよる。特に恩師もそうだが、 巴里で生まれた長女を育ててくれた家庭がカトリックで、この子をどうしても受洗しないではおかない熱意を示して、 私にカトリックを教えた。当時私は胸を病んで遠く離れて療養していたから、虚しい心で、恩師やその人々の愛情を委ねて、 子どもの受洗を承諾した。・・・・・
カトリックの理解については進んでいたかもしれないけど、 カトリックの神を我が神と意識して受洗の承諾はしていないと思います。恩師や友人達の娘への愛情から承諾したということだと思います。
ただ、闘病中、ルルドの泉を用意されたりして、聖人についても当然意識されることもあったと思います。
カトリック教徒にならなかった芹沢氏は、1951年6月の世界ペンクラブに出席し、ローマ法王に接見する。 なぜカトリックに改宗しないかと問われ、芹沢氏は「恩寵がないからです」と答えている。
「恩寵がないから」とは、神様から芹沢光治良氏に近づいてくれないとかんがえているのだろうか?