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月例会の後で 神谷光信氏の講演を楽しみに待ちます。

 月例会の帰り、芹沢先生の自宅の前で、庭の泰山木をK氏、玲子さんと文子さんと見る。白い花が三つ咲いていました。 読者としては、至福の一瞬。芹沢作品を読んだ後の泰山木。なんか、至福の一瞬でした。

 6月15日(日) 午後2時 講演会「芹沢光治良とカトリシズム」   講師  神谷光信 が開催されます。

そこで、予習として神谷光信氏の『須賀敦子と9人のレリギオ』ーカトリズムと昭和の精神史を読みました。レリギオとは、ラテン語で 「敬虔さ」ということを意味します。

 この本の中で、プロテスタントは、聖書中心主義と書かれていました。それで、興味をひいたのは、芹沢光治良はあの戦争中、 聖書をたくさん読んだという事をふまえて、芹沢光治良のキリスト教の考え方は、それこそ、聖書中心だと思っていました。

 神谷氏は、芹沢光治良がカトリックを再評価したのは、戦後親しくなったプロテスタントの牧師の勉強会がおかしな方向に行きはじめて、 プロティズムの「危険性」に気づいたと指摘されている。

 私はこの事件において、プロティズムの「危険性」よりは、プロテスタント牧師の個人的な資質の問題ではないかととらえていました。

 私のカトリックに対しての知識があまりにもないため、誤解を生んでるかもしれません。 カトリックはプロテスタントの聖書中心主義に対して教会主義という場合分けで書かれてあることが、 私の世界史で受けた授業のはかない記憶です。 キリスト教を知るには、又は知るだけでなく体験するのには、教会で体験するということです。 ですから、司祭は、神と民衆の間にいる神につながる人から教わり、信者とは同じではないと教わり、さらにカトリックとは、 ローマ教皇を中心とした最大会派でプロテスタントは、それ以外の様々な諸団体であるというふうに記憶しています。

 繰り返しになりますが、それゆえ牧師の個人的資質の問題で、芹沢光治良自身「教会」という枠組みで苦しめられた経験から、 カトリシズムについては、なかなか通じないのではないかと思っています。

 結果的には、神シリーズで書かれているようにカトリックの神とは違う方向性が示されていると思いますが、 共通している部分も当然あると思います。

 当日、管理人は参加します。会場でお会いできる事を楽しみにしています。

 

須賀敦子9人のレリギオ
―カトリシズムと昭和の精神史

神谷光信 著
日外アソシエーツ 刊
定価3,619円+税

 

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コメント (2)

稲生 恵道:

関東に住んでいれば、マグノリアの催しには気軽に、頻繁に参加したいと思うことしきりです。

個人的なメモを拝見させていただいて追体験したことも何度かありました。先月みたいに講演録全文が公開されるのもいいですね。

管理人さん、また、当日の模様を掲載していただけると嬉しいです。

管理人:

 稲生様、コメントありがとうございます。
 当日の模様は、記載しますので楽しみにお待ち下さい。
カトリックは、教会というイメージが私は強くて、芹沢光治良が教会に通うというイメージがわきません。
 ところが、神谷氏の著書で出てくる重要な言葉にリトルギア(典礼)という言葉があります。これはこの本に出てくる岩下神父の言葉です。カトリシズムにおいて「何よりも大切なのは、リトルギア(典礼)である」

 リトルギア(典礼)とは、個人を超えた「形」の思想であり、それは来歴の身体化であり、宗教的にいえば見えざる神との対話の可能性であったとあります。ここにもカトリシズムに近づいたヒントがあるのではないかと思います。
 

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2008年05月30日 19:31に投稿されたエントリーのページです。

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