東京帝大3年生(大正10年春)高等文官試験を受けるため、費用がかからない処を探しに故郷に帰った時に近藤氏と会った。 結局近藤氏のところで勉強するようになった。
その場所は、御成橋を渡り、吉田から中学校を出る路にあり、その道にそって助木に囲まれた静かな家だった。当時近藤氏は、 婦人と二人暮らしで、事務室といわれる広い洋間が共同勉強室で、8畳の離れを寝室にしていた。食事は家族と同じもので、 好きなところに運ぶから、遠慮しないようにと、気のよさそうな夫人が念を押してくれたそうだ。
費用がかからない処を探していた芹沢光治良氏とK(菊池勇夫)氏がためらいながら支払いがいくらか聞いたら、
「下宿代だって、そんなものはいらん!出世払いだって、ことにして、いつか、たくさんいただくか、なあ英子」「えー結構ですとも」と、 夫人も微笑した。
沼津の近藤夫妻、夫人の名は、英子さんです。
沼津での近藤夫妻と芹沢光治良氏、近藤勇夫氏は、ここで契約成立。二日後にはもう世話になっている。この行動の速さ! 早く共同勉強したかったのでしょう。進学したのは4月ですから、10月までの半年間、6ヶ月間高等文官試験の勉強合宿に入ったのでしょう。
菊池氏は、帝大の法科で大学に残るつもりでの文官試験の勉強、芹沢氏は、経済部なので高等文官試験を受ける必要がなかったが、 こんな機会を利用して、法律体系を知ろうとした。
二人ともよく勉強したが、10日に1度くらい、天気の良い日の午後2時間ぐらい歩いたそうだ。
合宿といえば、運動部のそれを思い出します。プロ野球の選手達がサラリーマンが手にすることがない破格の高額な年収を得るのも、 高校、大学など青春の遊びたい盛りに目の見えないところでの強力な練習というより訓練といますか、 かなり過酷な環境に身を置いて切磋琢磨していたと思います。
高等文官試験を受験して合格した多くの先輩方は、プロスポーツ選手並みの合宿や努力をしたのでしょう。そうすると、 スポーツ選手と同じくらいの年収を保証しても良いのではないかと管理人は思ってしまいます。
特に、これからの日本社会を引っ張って牽引していく実務に関わる高級官僚といわれている人達は、 民意を反映出来る高度な判断力と実行性、その責任を追求できるシステムが出来上げれば、かなりな年収を保証した方がいいと思います。 優秀な頭脳、芸術、身体、才能も有ると思いますが、才能だけではないでしょう。
この芹沢氏と菊池氏の田舎での共同勉強は、夏になり、沼津が暑くなると、 御殿場在増田の青竜寺にの離れを使用する事を近藤氏が頼んでくれました。
こちらも出世払いだと呑気に話されたそうです。