全国大会では芹沢光治良の作品を手に取って見ることが出来るように芹沢作品を用意します。現在出版され入手可能なものです。 『教祖様』もその一作品です。
教祖様の最終章の感想を書きます。この記録は11年前の平成8年4月21日に書いたものです。 この2週間後に生誕100周年の全国大会が行われました。
なぜみきは、寿命を縮めて死んでしまったのか。疑問を持ちながら読んでみたのですが、 それはどうもみきがあまりにも優しく母親的であったからではないかと思います。
9章の始めに側近者は、道の上でみきに喜んでもらいたい、または、 苦労をかけたくないという理由から公認問題ばかりに努力してそれを正当化する為に、必要以上に警察を恐れたとありますが、 もう一つ理由があったのではないかと思います。
それは、みきの信者がふくれあがり、全国に広まり大きな組織になってしまったということです。この間までは、 平凡な農夫に過ぎなかったものが、取り次ぎの先生と全国からやってくる人々にあがめられる。その人々がお布施を持ってくる。 きっと知らず知らずにお寺と檀家のように所有物という考え方が生まれ、お筆先を読むより、 組織の運営に心をとられたそのための公認問題ではなかったかと感じます。そうでなければ、公認に反対し、 それどころか高山に道をつけると勇んでいるみきを見れば間違っていることが判るはずですし、そもそも警察の弾圧は、 高山に道をつけるだけではなく、信仰を強くするという効果もねらっていたのではないかと思います。
大戦中、ナチのアウシュビッツの収容所で身代わりに死刑を受けたコルベ神父が迫害され試練の惨禍に遭ってこそ、 信仰は燃え上がると言って、収容所から帰らないことを決めるのですが、そういう効果を期待した上での弾圧だとしたら、 まるで逆の方へ行ってしまっていることにもなります。
ではなぜ、そんあことになってしまったのかといえば、みきが優しい母親で子供が甘えて親離れできなかったからではないか、 父親はかんじんな時に、怒ったり褒めたりして、要所要所を押さえている為、印象も強く心に残ります。 これはキリストの短いが強い印象を残した布教期間と同じで、それに対して、母親は、のべつまくなしだらだらと怒り、ずっと側にいるので、 つい親しみを込めて、軽く扱われてしまう。
みきの50年近い信仰生活は、信者とあまりにも慣れ親しみすぎてしまった。みきの言葉や資料が残っていないのもそのためではないか。 信者にとって、威厳を持って、恐ろしく感じてもやはり母親には、変わりなくきっと許してくれる。だだをこねれば、 承知してくれるという母親に対する甘えが最後まで無くならなかった。みきとしては、 成人した子供が親を助けるように側近者に手助けしてもらいたいとおもっていたが、だだっ子で終わってしまった。その愚痴が 「私を助けようとする人は、一人もありません」と言わせたのではないかと思います。 そんな親離れできない子供達の為にみきは寿命を縮めて亡くなり、 キリストの復活のように残った人々が命を省みないほど信仰を厚くしてくれることを望んだのですが、 いつまでも母親に甘えたいための復活で終わってしまう。ここにいるんだ。
生活しているんだと思いこむことで寂しさや辛さをごまかして依然と変わらずだだをこねれば、 許してくれると教えをゆがめて明治経典を作らせてしまうのでないかと思いました。