芹沢光治良の作品で管理人の私が好きな作品は、懺悔記です。作品の内容は、芹沢文学館のHPに書かれています。
管理人の私は、その感想を書かせていただきます。
この作品の後半部分は、節子さんとの恋と失恋、ヨーロッパ、妻とのかかわり、とにわかれ、 静夫君との事などをめぐっていきますが、それを通して神との関わりをさぐり姉の信仰と対比させ本当の信仰生活、 又信仰を持った生き方とはどういうものかと最後にまとめています。
岩尾さんとの真摯に向き合う姿勢にはすがすがしいものがありますが、 まず節子さんとの結婚の為に自己を犠牲にして浮いた態度を一つも見せない。これも身についた信仰の為だろうが、 失恋しても愛すると言うことは相手の幸福を願う事と自分に鞭打つ態度は本当にスイトックです。
そして、ヨーロッパに旅立ち、悟るように、白雲が浮き立っては消える様に、 はかなさや今この一瞬の大切さを見たのかもしれません。作家になる決意を強くし、無形なものを信じて生涯をかけることは、 父の信仰と変わらないと悟り「この世の善きもの美しきものは総てこうした人々のまことでつくられる」と感じる。 これがひとつのポイントになっている様な気がします。
そして、アッシジで本当の信仰生活を知り、その中での愛を理解します。
しかし、帰国後は悟りも忘れ、経済活動に忙殺されて、あんなに真摯だった結婚問題をも人任せにし、 その結果不幸なことになってしまう。
もう一度神を取り戻したのは、実母の遺言の言葉からです。そして、妻を幸福の中で看取り、信仰の形を理解する。
信仰とは姉のように形式的なものではなく生き方にある。他人を説かず、 平凡な日常生活に仄かな光芒を発するようになればいいと。
しかし、又、それを忘れたように感じます。その信仰心のように静夫君を育てれば良かったのに、 岩尾さんは全身全霊であたってしまった。自分が出来なかったことを静夫君に為し遂げてもらおうと期待した。 その思いが強ければ強いほど重圧になる、それに加えてこの時代は国の為に死ぬことが第一義に考えられていた時代ですから、 静夫君は追いつめられていったのではないか。
岩尾さんの誤解は、静夫君が岩尾さんの無為に暮らすのを苦にしたのではなく、 静夫君が自分に自信がなく岩尾さんの期待を裏切る事になって、そのためペールの一生を台無しにしてしまうと危惧したのではないか。
岩尾さんはそれら哀しみを胸におさめた上で、本当の信仰生活を実践する。
その契機は故郷の自然にあった。自然信仰、多神教のように自然を神として捉え、 その一部分であると自分の存在を再発見する。そしてアッシジで感じた愛をここで又発見し、 アッシジの人々のような飾らず形式張らない生活に根ざした信仰を持ち、力強く精一杯暮らしている姿が描かれている。 本当の人間らしい生活や美しさを、私達はここで教えらえると思います。そしてそこに読んでいる私達もすがすがしさを感じ、 「この世の善きもの美しきものは総てこうした人々のまことでつくられる」と言う言葉に納得できるのです。
終わり