本日は、午前中は東中野の喫茶店「ルーブル」で全国大会の打ち合わせ。12人集まりました。奥の部屋で、 管理人が作成した日程についてあれはこれはと話し合いました。その後は、月例会です。今日のテキストは「結婚のあとさき」です。
それでは、この読後感を書きます。ここで書いたのが、芹沢文学愛好会の公式読後感(という言い方があるのかどうかわかりませんが・・ ・)ではありません。
この小説に登場する父・母・娘三人各々は、非難されるところがあると思う。若い娘とその恋人は一見理想的な若夫婦に見えるが、 かんじんなところで、自分本位で大切なことをわかってないと腹立たしくなる。それは結婚式を挙げる時にまず大切なことは、 二人の都合ではなく親への感謝だと思うからだ。 今まで身を削って育ててくれた親へ感謝し礼をつくしその家を出る娘であることを卒業して新しい家庭に入るだけの節目に親への恩に感謝し気持ちよく家を出ることが一番大切なのに、 この二人は自分たちの都合ばかり優先して一人で大きくなったような顔をして親を無視して家を出てしまう。 もっと言葉をつくして理解してもらい、許してもらえるよう努力しないのは若さの傲慢だし、 立派で偉そうなことを言っても未熟で思いやりに欠いていると思う。
そしてその妻を見ると、思いやりに欠けた人だ。でも甘えた根性や自分のことを棚に上げて夫を避難する態度等、 私自身の中にあるものだと思う。まるで自分の中にあるものを拡大して見せられたようで読後暗い気分になった。 とみ子は決して夫を愛してなかったわけではない。むしろ甘えていたのだ。 何を言っても叱らない夫に感情をぶつけては甘えてさからわないものだからますますエスカレートしていったのだろう。 甘えるけれど甘えさせない、思いやって欲しいけど思いやれないという人だった。私達はこのとみ子を反面教師として見ればいいのだが、 そもそもこのとみ子を作りだしたのはこの夫でないか。 正面からぶつかり合うのが面倒くさくて妻のヒステリーが頭の上を過ぎるのをじっと待っているという態度しかとらないのではこの結果もしかたがないかと思う。 ぶつかりあってたたかってお互い理解し、努力し、忍耐しあい、分かり合い、晩年を迎えるという姿が理想的なのだろうが、 その努力を始めから放棄していたら、一人で家を出ることも仕方がないし、和歌に逃げ込むものも仕方がないのだろう。 でもそんな根性で作る和歌に感動がアルトは思えないが。
この作品は1960年6月19日に石井ふく子がプロデューサーで東芝日曜劇場で放送されました。
脚本は小松君郎、演出は小松達郎で出演は佐分利信、桜むつ子、河内桃子、穂積隆信、日塔智子、福田妙子です。