g 愛好会会員Sさんから、原稿をいただきました。その博学、その男らしさゆえに私は、 惚れ込んでいます。多聞小学校についての文章、2回に分けて報告します。
華麗なる-P T
A会長の系譜
世田谷区立多聞小学校の歴代PTA会長
初代 芹沢光治良 昭23~26
2〃 生悦住求馬 27~29
3〃 関根信義 29~30
4〃 広川弘禅 31~33
5〃 和田義男 34
6〃 斉藤多美子 35
7〃 広川シズヱ 36~37
(以下省略)
歴代校長
3代 安西庫司 昭12.3.31~23.8.24
4〃 日野清直 23.4.6~26.2.
6
(『人間の運命』に登場する校長)
*安田校長・・・安西庫司
*五藤教頭・・・校長代理、校長、日野清直
多聞小学校の〔沿革の概要〕から幾つかを拾い出すと
19・8・15 長野県北安曇郡平村木崎へ学童集団疎開
20・5・25 戦災により校舎全焼 *(東中野の芹澤邸も同日被災)
20・11・8 集団疎開学童帰校、 代沢国民学校を借用して授業開始
21・5・19 代沢国民学校火災焼失、太子堂国民学校を借用して授業継続
22・3・15 再建校舎落成、木造平屋建7教室
22・4・1 世田谷区立多間小学校と校名変更
25・9・1 完全給食開始
28・3・8 校歌「丘の学校」制定 *(神川漁史作詞、中田書直作曲、芹沢光姶良選)
*昭和26年、ローマ教皇ピオ12世の教皇メダルが芹澤光治良によって伝達される(*印部分は筆者加筆)
多聞小学較PTAの歴代会長の顔触れを見ると、思わず「ズルイ」と叫びたくなる。校舎の再建や拡充、
或いは他校にさきがけて備品を獲得する為には、これ以上の人物はそうざらにはない、と思われるような陣容である。
芹澤光姶良は、昭和22年度に中途から同校の父兄会長になり、翌23年にはPTAの発足に伴って初代のPTA会長になった。
戦前から自由主義者と目され、戦後は文化人(この言葉は嫌いだが)として知名度の高い芹澤光治良を会長に頂くことは、
同校にとって名誉なことであり、また利益も大きかった。
22年3月にできた校舎は雨漏りはするわ、風の日には天井の馬糞紙に砂挨が落ちる音がするわといったひどいありさまである。
それよりも第一に教室には机も椅子もない。会長が区役所の区長室に挨拶に立ち寄っただけで、
いつになったら搬入されるかも分からない机や椅子が新学期に間にあうのである。「先生、筆の力は偉大ですね。先生の文章
(B新聞の学芸欄に書いた随筆『戦災者』)を区長が読まなかったら、あの机や椅子は他校へ運ばれたかも知れません。
用度課長も冗談のように申しておりました・・・伝家の宝刀を持った会長を選んだから、多聞は区内で注目校になったが、
伝家の宝刀はめったに抜かないようにしてもらいたいものだなんて」と、机や椅子が入ったことを報告に来た校長に言わせている(『人間の運命』
文庫本 第14巻355~356ページ)
バラック住まいや間借りで、窮屈に、時には卑屈に暮らしている学童に、せめて学校だけでも堂々として子供の心を高揚できるようにしたい-
と願う会長であった(353ページ)
ピアノの購入をめぐる話をここに持ち出すのは蛇足ということになろう。
第二代の会長には生悦住求馬(いけすみもとめ)。旧内務官僚で、佐賀、宮城、千葉県知事、文部省社会教育局長、科学局長、東京都教育局長、
戦後は私立学校教職員共済組合常務理事、学徒援護会理事長、日本肢体不自由児協会会長を歴任し、平成5(1993)年12月13日に、
肺炎のため千葉県八千代市の総合病院で93年の一生を終えた。
戦後、廃校になるところであった多間小学校を救った人物と記憶されてもよい。
昨年(’93)は、3月23日と12月13日に、多間小学校PTAの初代と第二代の会長が相次いでこの世を去るという、
そのような年まわりでもあった。
生悦住求馬(三重県M.33.4.26)と妻・浪子(兵庫県M.38.6.)の間には、玲子(S.4)、厚子(S.5)、満
(S.6)、望(S.9)の4人の子供がある。
次男の望は、多闇小の〔沿革の概要〕に抜き書きした学童集団疎開で4年生のときに長
野県に行っている。従って、生悦住が会長になった昭和27年度には多聞小に通う子供はいない。夫人が副会長をした時でさえ、
子供の卒業後のことであった。
『人間の運命』には、副会長のひとりに、都の教育局長だった小栗氏の夫人という人が出てくる。
339ページ(文庫本)で、校長代理の五島は森次郎に次のように話しているのだが‥‥
「実は、今まであった父兄会や後援会を全部解消して、PTAを組織しろという(GHQの)
指令で、本校では因っておるところです。PTAは教師と父母の会であるから、父母でない者はどんな名義でも、
会員にしてはならぬという厳命です。本校は今日まで、後援会がありまして・・・学区内の資産家が会員になって、島代議士を会長に、
都の教育局長を副会長にして、物心両面の援助をいただいておりました。おかげで、来年度には、九教室の増築も完成して、
全校生徒がこの多聞の岡に集まり、二部教授でなくて、まともな授業がはじめられます。しかし、都や区では教室は増築してくれますが、
机や教室の備品などはなかなか手がまわらなくて、早く入れてもらうためにも、後援会のご援助を請わなければならないのに・・・、
後援会の会員の多くは、PTAの会員の資格がございませんので、本校では弱っております」、と。
小栗夫人が誰であろうと、作中の人物だから読み流してもいいのだが、都の教育局長の夫人となると捨ててはおけない。
生悦住民と小栗氏を同一人物と見傲すべきであり、小栗夫人は生悦住浪子ということになる。