平成15年  10月25日(土) 15:00〜20:00 集合場所 いろりの宿「三吉」   芹沢文学アラカルト
10月26日(日) 10:30〜16:00 場所 芹沢文学館1階  
11:00〜12:30  場所 芹沢文学館1階  演題 「ロシアにおける日本文学と芹沢光治良」 講師 神戸市外国語大学教授 エルマコーワ・リュドミーラ
13:30〜15:45 @短編小説「おかしな花嫁花婿」 会場:1階
A短編小説「をかしな結婚」    会場:2階


    
      
 




お酒が好きな二人です。
南極の氷で、オンザロックにしました。
                      

      

「我入道の集い」の報告

2003/10/25

●いろりの宿「三吉」に38名の参加。

17:00 :「芹沢文学・模擬試験」 開始。

1993年に教育開発出版の新中学問題集・国語ゼミ(中学2年)
  に「人間の運命」より出題された模擬試験を全員で解いた。
・中学2年の問題でしたが、結構難しく、全問正解者は0人でした。 

18:00 「食事と懇親会」

・鈴木春雄代表の、昨年持参できなかった「南極の氷」でウイスキーを飲む人。

 お水に入れて、悠久の時間の弾ける音を楽しむ人。

 また、「ミカン(未完)の告白」のテーマで自己紹介を行い和やかで笑いの

 絶えない懇親会でした。

2003/10/26

●「芹沢文学館」にて  58名参加

・松本館長より、芹沢文学館の経済的現状のお話があり、大変厳しい現状です。

・芹沢文学の聖地である「芹沢文学館」を守っていくためにも、多くの入館者

 を増やすために魅力的な「芹沢文学館」にするよう、芹沢文学を愛する皆さん

 の支援と知恵で「芹沢文学館」を守っていきたいと思います。

(何か良いアイデアがあれば「池田」宛てメール等でご連絡願います。)

 

11:00 「神戸市外国語大学教授 エルマコーワ・リュドミーラ氏(女性)」講演

演題「ロシアにおける日本文学と芹沢光治良」

○「講演内容」(断片的ですが・・)

@芹沢光治良は,19世紀のロシア的作家である。

・深く心を記録、人間と自分の心のコンタクトを探求する文学。

A20世紀の西欧では、天国・地獄と中間の現在の3極である。(聖書)

 しかし、ロシアには、2極(天国と地獄)しかない。そのため

 改革ではなく、革命にこだわる。

B文学の発展は翻訳から始まる。

・日本文学の翻訳は万葉集から始まり、和歌をロシアのポエムの翻訳した。

・散文の翻訳についてお話になったが、少し難しくお話だけでは理解でき

 ませんでした。

Cロシアで日本文学が受け入れられたは、映画の力が大きい。

・黒沢明監督による「芥川作品」  

・安部公房「砂の女」も映画で有名になった。

Dソ連(旧ロシア)では、芹沢文学は宗教的な彩りが強いため翻訳できない。

E現在、流行っている作家はヨーロッパより入ってくる。

・村上春樹は崇拝されている。が、私の対象とする作家ではない。

最後に、昨年ロシアで翻訳された「芹沢光治良作品集」のロシアの評論家達の

コメントが紹介があった。

・哲学的懺悔に近い。

・東洋と西洋の混合

・天理教とベルグソンの混合  など

(上手くメモが取れませんでした・・)

○「翻訳された作品」

@男の生涯 A巴里に死す B南寺 C秘蹟 D死者との対話

E大岡信 「日本文学の中に芹沢文学」

 

13:30-15:45 読書会(「おかしな花嫁花婿」「をかしな結婚」)

私が参加した「おかしな花嫁花婿」の読書会の紹介。

○「作品の内容」

・幼なじみの3人。「作家の僕」、30年振りにアメリカから花嫁を迎えに

 来た「吉川次郎」。そして。30年間も迎えに来てくれることを信じ、

 吉川の妻として生抜いてきた「かつ子」のおかしな恋愛物語。

○「参加者の感想」

・短編のため、人物描写、状況説明などが詳しく描かれていないため、

 読み手によってどの様にも発展させることができる作品のため

 下記の内容について色々な感想が出ました。

○「吉川に対して」

@吉川は、子供までもうけた「かつ子」と何故結婚しないのか?

A薬屋の長女との結婚当日に何故、逃げ出しアメリカに行ったのか?

・男の風上にも置けないダメな奴。反対に「自分に純粋に一途な生きた人」

 と評価が二分した。

B吉川は、日本を離れアメリカに30年も暮していながら、何故かつ子

を忘れることができなかったのか?

・男の身勝手では・・。

○「かつつ子に対して」

@30年もの間、吉川が迎えに来ることを何故信じることがきたのか?

・参加者の多くの女性が、かの子のように30年間待てる。待ちたい。

との感想だったのに少し驚いた。

A吉川がアメリカに渡る前にどのような約束があったのだろうか?

○「60才に見えるかつ子。40才に見える吉川」

@吉川が、おばあさんになったかつ子をどう思ったのか?

・苦労をかけてすまないと思った。

・アメリカの女性に比べて日本の女性素晴らしさを感じたのでは? 

 

など、読み手の「生き方」によって、読み手の数だけ物語ができる作品でした。

 

以上

 

 

『創立25周年を祝う会の報告』

日時:2003年5月31日〜6月1日

会場:IPC生産性国際交流センター(神奈川県三浦郡葉山町湘南国際村)

参加者: 53名

(感想)

(5/31)

(1)講演  芹沢光治良文学愛好会 代表:鈴木春雄氏「愛好会25年の歩み」

 ・愛好会25年の歴史をパソコンを駆使してビジュアル的に分かり易く楽しい

  紹介と芹沢光治良先生に纏わるエピソードが紹介された。

 ・25年の歴史を、代表自身の25年前の少年を感じさせる若々しい姿と現在の重厚な人柄の写真。 又、芹沢文子様の25年前の若くて美しい笑顔の姿と美しく年輪を重ねてこられた現在のしとやかな写真の対比は、各自が心に持っている芹沢文学への歴史を思い起されたのではないでしょうか?

 

(2)文芸講演 作家 小谷瑞穂子氏 「二十世紀における芹沢光治良文学の思想」 

  @「教祖様」より、中山みきの生きた明治の時代。

  A「人間の運命」より、日本が明治維新による封建制度の崩壊から辿らなければならない歴史を忠実に描いた作品であることを、小谷先生は明治・大正・昭和の歴史を分かり易く具体的にお話いただきました。 

  B「芹沢光治良の神思想」に影響与えた思想として以下のことをお話になった。

   ☆デュルケーム学派による社会思想

   ・実証主義者である先生は、思想の自由を確保しながら、大自然(神)の存在を否定しないで、火、水、風などに神の存在を感じる立場で作品を書いている。

   ☆ベルグソン哲学によるエレン・ビタールと呼ばれる「生の哲学と愛の哲学」

    との合体。

   ☆キリスト教のカトリックの神秘思想と天理教の神懸かりとの合一。

    私は、先生の神思想に関しては、最も興味ある内容です。今後、本講演を手掛かりに勉強しないと思います。

    小谷先生が最後に言われた「芹沢光治良文学の思想は、唯心論(心)と唯物論(体)を愛で融合し合体したものである。」 そのため、暗い夜の文学ではなく、明るい光の文学である。 が印象に残っています。

 

(6/1)

 (1)読書会

   @「風迹」 A『再び「ブルジョア」の日に』 

   B「おじいさま、おばあさま きんぴらごぼう」

    に分かれ行われました。 

  (個人的な感想)

   ・この作品で、昭和10年の作品で、「橋の手前」の続編の作品として書かれている。「橋の手前」では、妻(芳枝)が、夫(杉野)が橋を渡っていくのではないかと、夫を監視し心の落ち着くことがない妻を描いている。

    この「風迹」では、弟の「民三」が検挙されるが、「橋の手前」の芳枝とは、違って、落着いた態度に、杉野には、奇蹟にも感じた。 この思想の風迹(風の足跡)に残ったものは妻の落着きだである。

   ・なぜ、「橋の手前」の芳枝が、このように落ち着いた態度でいられたのか?

    =>夫が、もう「橋を渡る」ことを考えなくなったと、女の感で悟り、また、弟の「民三」の検挙についても、この時代の若者の一過性の風潮として捉えられていたので、特別に問題にする必要はないと、女の独特の世渡り感覚で、落着いた態度がとれたのではないか。 などの意見が出された。

    

 (2)朗読

  ・『戯曲「家」(三幕)』 1927年(昭和2年)フランスで創作した作品。

   会員の方が、1ヶ月前より練習されて、音響にも、先生の作品に関連する曲と効果音もとり入れられ、シリアスに見ごたえ、聴き応えのある朗読でした。

 

 (3)ビデオ鑑賞

   @沼津の文学館での「文芸講演」

   ANHK スタジオ102「訪問インタビュー」

   BNHL 銀河テレビ小説 「春の谷間」最終回(昭和52年3月4日)

 

  台風で始った、創立25周年を祝う会も閉会する頃は、残念ながら富士山は見えませんでしたが、青空が顔を出し、芹沢光治良先生からのお祝いをいただきました。

これからも創立50年を目指して頑張りたいと思います。

       

                                    以上